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災害ボランティアの心得

2018年7月14日 東京新聞

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by eric-blog | 2018-07-15 08:14 | ●3.11地震・津波・原発 | Comments(0)

手話による教養大学の挑戦

手話による教養大学の挑戦

斎藤くるみ編著、ミネルヴァ書房、2017

3142冊目


日本手話が「言語」であることは、よく指摘される。著者は、日本手話を学ぶことは、少数者の言語を学ぶこと、多文化教育に通じるものであり、マイノリティについての学びとして教養教育としての意義があるという。


日本手話が言語として認知されるようになって、「ろう者の大学事始め」と題する市民大学講座を著者らが主催し始めたのが2008年。平成20年。10人の講師陣が日本手話で専門的な内容を展開。


2011年平成23年に障害者基本法改正で手話が言語だと謳われるようになる前のことだ。


日本社会事業大学が日本手話を言語の一つとしてカリキュラムに取り入れたのが2007年。2014年には手話を受験科目として入試を実施。大学院の修士論文を「日本手話」で提出、修士号を取得したのが2016年と矢継ぎ早だ。


1990年平成2年の『ろう文化宣言』で木村晴美さんはいう。「第一言語(日本手話)で述べたものを日本語に翻訳してもらって提出するシステムを了解してもらえるように、大学側に働きかけていかなければならない」3


3章 ろう者が自らの「市民性」を涵養する権利と「日本手話」による教養大学 法律学授業を題材として 田門浩


教養教育とは「市民性」の涵養である。66


日本学術会議は市民性を「社会の公共的課題に対して立場や背景の異なる他者と連帯して取り組む姿勢と行動」と定義している。66


聾唖者に対する社会的な抑圧

労働、就学、などの差別。


明治から大正期までの教育方法は手話や筆談であっ。81

しかし、1923年大正12年、盲学校および聾唖学校令が発布された頃から、口話法が推進されるようになる。


「このような口話法教育は、聾唖者の聴者社会への同化を推し進め、手話や聾唖コミュニティーを抑圧する結果をもたらした。」81


手話が否定されたという状況に強く反応し、遅くとも昭和初期には、聾唖コミュニティーの中に、聾唖者自身の使うコミュニケーション手段たる手話が、言語そのものであるという認識が広まっていった。83


1928年昭和3年、日本最初の聾唖劇団「車座」創立。

聾唖コミュニティーにおいて公共圏の形成が一層進み、手話の重要性が高まってきた・・・元々公共圏とは、自由で対等な開かれた対話を通じて交易を討議する場である。聾唖者にとっては、このような対話を可能にするツールが手話であった。88


学校教育が進んだことで、進学も可能になり、そして職域も広がった。90


しかし、太平洋戦争開始後、聾唖者団体の活動は休止状態に陥り、再建されたのは戦後になってからであった。91


1947年、全国組織としての全日本聾唖連盟が活動を始めた。1948年、盲ろう教育の義務教育化が実現。



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by eric-blog | 2018-07-14 18:47 | □週5プロジェクト2018 | Comments(0)

子どものための精神医学

子どものための精神医学

滝川一廣、医学書院、2017

3141冊目


基本ができていれば、応用できる。丁寧に基本から、というのがこの本の方針。とてもいい本である。


『されど愛しきお妻様』の鈴木大介さんが紹介する一節。


第一部 はじめに知っておきたいこと

ピアジェやフロイトの発達論なども、その限界と効用を含めて紹介する。


第二部 育つ側の難しさ

発達障害についての診断は確定しているわけではない。現在も、WHOと米国で異なる分類が採用されている。しかし、診断は手立てのためであるとするならば、ある程度の区分は役立つだろうと、著者はABCのカテゴリーで発達障害を分類している。


発達の方向を「認識」の発達と「関係」の発達の二軸で捉え、四象限に分類する。

認知が-で関係が+が知的障害。A

認知が-で関係も-が自閉症。B

認知+で関係が-がアスペルガー症候群。C


第三次産業という「ひと」との関わりが仕事になる産業に従事する人が70%を超えたことが、「C領域」の人々のいきづらさになっているのではないかということだ。265


第一次産業は「自然」、第二次産業は「もの」に対する知識があれば、寡黙に仕事に取り組めばよかったものが、「関係」の発達の遅れが「障害」となって際立ってしまう。


3部で取り上げられる子育ての困難は三つに分類されている。


現代社会は少年犯罪も減っており、「子育て」のレベルは格段に上がっている。


第一のグループは、家族の子育て力がアップしているがゆえに起こる問題群である。引きこもり、摂食障害、家庭内暴力など。305


第二のグループはレベルアップした子育てについていけない子育て失調家族。

315

ゆとりのなさが家族に子育て失調を引き起こす。ゆとりのなさを引き起こすものは五つある。

・経済的困難

・家族の不和

・疾病

・子どもの障害

・子育ての不得手さ


DVのカテゴリーとも通じるところがあるね。


3部の最後の提言はとても具体的だ。「子育ての不調」をなるべく初期の段階からフォローする。


年間出生件数はおよそ100万件。一日2750人の赤ちゃん。日本の産科施設数は5500だから、一施設二日に一名。深刻な養育失調が生じる確率を相談件数から推計して0.3%とすれば、そのうち6名がリスクをはらんでいる。それぞれの施設に1-2名、支援専門のスタッフを置けばフォローできる数字ではなかろうか。371


支援の継続システムが必要なのだ。



そして第四部は社会に出ていく困難さである。


子どものうつ病が増えている背景にも、子供への期待の変化を著者は上げている。


対人恐怖において「中間距離」が苦手というのも面白い。446


対人恐怖の症状が軽くなって、引きこもりになったのかもしれないね。と。


いじめのタイプの変化についても、よく分析されている。



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by eric-blog | 2018-07-12 12:20 | □週5プロジェクト2018 | Comments(0)

モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語

モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語

内田洋子、方丈社、2018

3140冊目


書評を読んだ時、ワクワクした。イタリアの北部、山間部にある小さな村の人々が本を行商することを生業にしていたと。


その物語の語り部である著者が、ヴェネツィアの本屋に出会ったところが、取材の始まりだ。その本屋の出自がモンテレッジォという村であること、その村で「本祭り」が開催されることを知り、伝手を頼んで村を訪問する。


15世紀、活版技術がヨーロッパで始まり、18世紀のイタリアでは、出版社が印刷所も書店も兼ねていた時代があった。活版印刷の一番最初の印刷物が聖書であったように、印刷が庶民のものになるには、時間がかかったのだ。


モンテレッジォはローマとイギリスのカンタベリーを結ぶフランテジェーナ街道にある要害の地として中世の領主たちが重んじ、人を配した場所であった。とはいえ、取ったり取られたりの地で生きるには「自分の力でなんとかする」決意が必要だった。近隣にあるカッラーラは石の産出で有名。そこででるクズ石を拾い、砥石として加工したものを行商して歩くなどもしたようだ。


出版社から半端物などを安く買い受け、行商のルートに乗せた。出版社は、行商人たちがもたらす「売れ筋情報」など市場の反応を喜び、かけ売りもしてくれるようになる。


仕入れから販売、顧客情報管理、そして発注と、全てを一人というか一つの村のノウハウとして獲得していったのが18世紀から19世紀のモンテレッジォなのだ。


1800年代のある年を境に、村人は行商へ出かけるようになった。お札のようなものやといし。


そして、本の大衆化時代に合わせて商売は拡大していく。政党の機関紙のようなものも、扱ったりと、明治時代の日本を思わせる情景が、19世紀後半。


行商から屋台へ路面店へと足場を積み上げながら、モンテレッジォは本屋ネットワークの要となっていった。


イタリアの著名な文学賞である「露天商賞」は、そんな出自を持つ賞である。


いま、村に住む人は少ない。しかし、そこを故郷と自認するネットワークは、広く、豊かに生き続けている。


ヴェネツィアの洪水を生き延びた本屋の物語は、いま、西日本で起こっている水害に重なる。水浸しになった本を前に落胆した父親に変わって息子が店を継いでいく。


言葉は旅する。その時代時代の乗り物を得て。


いま、本の世界は厳しい。言葉はネットという乗り物も獲得したからだ。


モンテレッジォが届けた言葉の味わい方そのものを追体験するかのような、言葉の旅の物語である。村の人の生き様、名物や原産の食べ物とともに。


写真も、装丁も、フォントも素敵な一品。召し上がれ!



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by eric-blog | 2018-07-12 08:34 | □週5プロジェクト2018 | Comments(0)

ESDファシリテーターズ・カレッジ2018 テーマ「環境」 PLTファシリテーター養成研修

ESDfc2018 テーマ「環境」


ドイツの「気候変動教育」に学びつつ、PLT教材を「コンピテンシー」育成対応のカリキュラムとして再考する。

https://ericweblog.exblog.jp/238551979/


2017年に公表されたユネスコの7つのコンピテンシーは、よくまとめられている。PLTが準拠している「高次の思考スキル」は全米科学教育協会のまとめたものであるが、より科学的な思考によっている。

ESDのための「持続可能性の鍵となるコンピテンシー」は、協力する力も含めたバランスの良いものになっている。


UNESCO, Key competencies for Sustainability, 2017

Critical thinking competency クリティカル思考コンピテンシー

Systems thinking competency システム思考コンピテンシー

Anticipatory competency 予測的コンピテンシー

Integrated problem-solving competency 統合された問題解決コンピテンシー

Strategic competency 方略的コンピテンシー

Collaboration competency 協働コンピテンシー

Self-awareness competency 自己認識コンピテンシー


http://unesdoc.unesco.org/images/0024/002474/247444e.pdf

p.10


気候変動教育は、目標とするコンピテンシーを育成することにつながるアクティビティを整理している。既存のアクティビティの見直しと、新しいアクティビティの開発の両方が提示されていた。


今回のESDfcでは、PLTのアクティビティを「コンピテンシー」育成の視点から見直し、再整理を試みる。


■プログラムの流れ


セッション1 共通基盤づくり


1. 自己紹介とアイスブレーキング

2. 環境教育で育てたい力 トビリシ宣言、PLT高次の思考スキルなど

3. 「アクティビティ」が育てるもの

4. ESDコンピテンシーの特徴


セッション2  「行動から気づきへ」ドイツ気候変動教育教材の検討


1. 気候変動教育 教材1「システム思考を育てる『ミステリー』」

2. 気候変動教育 教材2 「未来予測コンピテンシー」

3. ふりかえりとまとめ


セッション3 参加型学習の特徴とすすめ方

1. 参加型学習の特徴とコンピテンシーの育成

2. ファシリテーターの役割

3. コンピテンシー育成型教育における指導者育成の課題

4. ファシリテーターの三つの資質


セッション4 アクティビティをコンピテンシー育成型にシフトする


セッション5 アクティビティ実践と評価


セッション6 カリキュラムの構想と個人的行動計画



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by eric-blog | 2018-07-11 13:44 | □研修プログラム | Comments(0)

テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち

映画『菊とギロチン』


花菊  木竜麻生

中濱鐵東出昌大

古田大次郎  寛

女力士・十勝川 韓英恵

ギロチン社: 倉地啓司


テアトル新宿にて。2018年7月7日から。

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東京新聞 2018年6月29日



テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち

猪野健治、筑摩書房、2015

3139冊目


映画では、貧困労働者出身のアナーキストたち、農村の労働力としての女性、朝鮮人が互いの境遇に共感しながら、惹かれあって行く。強くなりたいと願い、力を得たいと足掻く。彼らの姿に、資本家たちや権力者たちより以上の人間味を感じる。そのエネルギーはなんだろうか?


やくざは、関東大震災において、朝鮮人を匿ったりもしているのだ。p.91


どこか、気持ちの上での連帯があったのだろうか? 自警団とは一線を画していたようだ。


映画は3時間強。「 郎」の俳優デビュー作だというが、なんかいい味出している。



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by eric-blog | 2018-07-10 13:02 | □週5プロジェクト2018 | Comments(0)

されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間

されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間

鈴木大介、講談社、2018

3138冊目


「なぜ発達障害が増えているのか」

著者はあとがきで「現代が不定形発達の不自由を生涯にしやすい環境に変容してきているから」と言う論考に賛成だと言う。


『子どものための精神医学』で不定形発達でつまづくことの苦しさを滝川さんは指摘しつつ、このように説明しているといいます。


1950年代 第一次産業、自然に働きかける仕事と第二次産業、「もの」に働きかける、が入れ替わる

1975年代 第三次産業、「ひと」に働きかける、が第二次産業に入れ替わる。


他の産業では生きていた特性も、障害特性となってしまう。


この本は、発達障害を抱えた連れ合いを、自分自身が高次脳機能障害を負うまでは「責め続けた」ことを振り返り、また、そのような特性のゆえに、多分保護者らからも責められた子ども時代を過ごしたであろうことにも思いいたしながら、「できない」ことを責められる苦しさを言う。


病気になったのも、発達障害を抱える妻「のために」頑張った結果なんだよ、と妻を責めた自分。



今は、できることを探しながら、「できること」を奪うことなく、学習の機会を提供することにつながると考えながら、共同生活を営んでいると言う。


さらには、著者自身の取材が、「暗い」側面を伴うものであることから、そのことを引き受けてしまいがちな自分自身を「生きる」日常に引き戻してくれる妻に感謝している。


人のきもちがわかると言うことはよしあしなのだ。


生活上の工夫は、発達障害を持つ子供に対する対応の知恵と共通しているなあ。



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by eric-blog | 2018-07-08 11:03 | □週5プロジェクト2018 | Comments(0)

地球にちりばめられて

地球にちりばめられて

多和田葉子、講談社、2018

3137冊目


小説である。この「週5プロジェクト」では、小説などのフィクションはあまり紹介していない。読んでいないわけではない。と言い訳したりして。


1960年生まれで、1982年からドイツで活動してきたという著者。交差性を見事に描き出しているように思う。



小説の背景は、「日本」という国が消失してしまっている近未来という限りなく今。


アイデンティティについての物語。


日本人らしき主人公の一人は、北欧での生活が長く、「パンスカ」というスカンジナビアに一般的に通用する言語を作り出し、コミュニケーションに用いている。


「わかる日本語」などもそうだが、「パンスカ」もこぎみ良い。シャープに単語が並び、意味が通じる。


日本手話もそうだが、語順が大事。


言語のアイデンティティを解体してしまっている。


「日本人」と思われている寿司屋の職人が、実は日本人ではないことに出会い、言葉と国籍を結びつけることも不要であることに気づく。


不思議な物語である。


世界がいま、どんな状況にあるのかを描き出している。出自、属性、人種、国籍、言語の多様性の交差点。



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by eric-blog | 2018-07-05 10:37 | □週5プロジェクト2018 | Comments(0)

忘却か記憶か。

I-House Lecture
犠牲者意識のナショナリズムか、記憶のための連帯か:東アジアの歴史和解

  • 講師:林 志弦(西江大学校 教授)
  • ディスカッサント:トルステン・ヴェーバー(ドイツ日本研究所 シニアリサーチフェロー)
  • モデレーター:足羽 與志子(一橋大学 教授)
  • 日時:73日(火) 700830 pm (開場 6:30 pm


http://www.i-house.or.jp/programs/activities/lunchtimelecture/


英語はこちら

Victimhood Nationalism versus Mnemonic Solidarity:
History Reconciliation in East Asia

http://www.i-house.or.jp/eng/programs/activities/lunchtimelecture/


一時間のレクチャーの後、コメンテーターからの問題提起、そしてフロアーから質問を受け付け、最後にもう一度、まとめて林教授が答えるという形で進められた。


コメンテーターのヴェーバーさんが「忘却」について、Aleida Assmanのことを紹介してもらった。著書も多数あるそうだが、ドイツ語で、だそうだ。

http://www.memorystudies-frankfurt.com/events/aleida-assmann-forms-of-forgetting/


以下は挨拶はドイツ語だが、レクチャーそのものは英語。

Forms of Forgetting

https://electure-ms.studiumdigitale.uni-frankfurt.de/vod/clips/xkAbEqaHKV/flash.html


強く印象付けられたことは、歴史和解の可能性について、悲観的であるというフロアからの意見に対して、林教授が、楽観的に取り組むことがインテリの責任だと考えると、アントニオ・グラムシを引用して答えたことだ。


日本社会は歴史意識が希薄だと常々思っていたが、インテリの悲観主義、あるいはクリティカル思考についての偉大な誤解としての「批判」の姿勢もまた、歴史意識の欠如につながるのだということを理解した。


犠牲者の数で競い合うようなことは無意味だとも。


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by eric-blog | 2018-07-04 09:53 | ◇ブログ&プロフィール | Comments(0)

人権擁護のためのセルフチェック

全国保育士会が作成した「人権擁護のためのセルフチェック」

http://www.z-hoikushikai.com/download.php?new_arrival_document_id=53

子どもの権利条約や保育綱領などに準拠して作成した以下

(1) 子ども一人ひとりの人格を尊重しないかかわり
(2) 物事を強要するようなかかわり・脅迫的な言葉かけ
(3) 罰を与える・乱暴なかかわり
(4) 一人ひとりの子どもの育ちや家庭環境を考慮しないかかわり
(5) 差別的なかかわり

の五つのカテゴリーの観点から、
登園時から降園時までを6つの場合に分けて、「している/していない」のチェックと、している場合の「より良いかかわりへのポイント」という働きかけ、ことばかけの具体例が示されている。

昨年できたばかりのようだが、15ページ程度で簡単にダウンロードできるので、ぜひ使って見てほしい。保育段階だけでなく、小学校段階でも有効なのではないだろうか?

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一つずつのケースについて、「なぜ?」「どんな時?」をしっかり深めて考えることで、「言い換え表」のように使われる危険を回避できるのではないだろうか?



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by eric-blog | 2018-07-03 13:34 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)