327-3(1416)2011年 新聞・テレビ消滅
佐々木俊尚、文芸春秋、2009
コンテンツ
コンテナ
コンベヤ
新聞社がコンテンツを作り、新聞紙というコンテナに盛り込み、販売店というコンベヤ体制で、売る。
テレビ局がコンテンツを制作し、テレビというコンテナに盛り込み、電波というコンベヤで売る。
三位一体でコントロールしてきた、それがマスコミ。
そこに、「インターネット」というコンベア、パソコンというコンテナが生まれたことで、
◯コンテンツ発信者の多様性
◯多様化する情報のポータルがミドルメディアとして台頭
というような変化が始まった。
そして、2011年。デジタル放送だけになっていく。著者は、すべてのアナログテレビ受像器が買い替えられるわけがない、と見る。コンテナが多様化するだろうと。
パソコン、携帯、ゲーム機などが、コンテナになる。
いずれにしても、映像の受信スタイルに、三つのシフトが生まれていることで、テレビメディアの「三位一体」の優位性はゆらいできつつあったのだという。
タイムシフト 録画して見れるからね。
スペースシフト どこででも見られるように。
スタイルシフト どう見るか、なぜ見るかも変わってきた。
そんなこんなで、新聞・テレビという二大マスメディアがその支配力を減じていく。
支配力ってなんだったんだ?
これを読みなさい、これを見なさい。
を言えるので、
これを買いなさい。というメッセージを広告主が依頼してくる。
上杉さんも、日本の新聞社は米国メディアの10倍の人を雇っていると指摘していた。テレビ局は、新聞社以上にあくどい。制作は下請け任せ。ひどい場合は、1億円の制作費から、実際の番組制作孫請け会社には800万円という例もあったそうだ。151
1億2000万人に届ける広告をがっちり押さえていたことで、40代で1500万円という高収入をたたき出していたのだ。民放5局による寡占業界。
彼らにこれからの生き残り策を考えることなどできるか?
できない、と著者。うんうん、わたしもそう思う。彼らは困っていないんだから。彼らがやることは、三位一体の旨味、既得権を死守する方向での努力である場合が多いから。
一度、壊れてしまえばいいんじゃない?
何とも荒療治だが、そんなもんだ。
「われわれにとって望ましいメディア空間とは何か?」
そう問おうと、著者は提案する。
それはどのようにして作られるのか? と。
わが家でも日経新聞やめるとツレが言い出している。
うーーん、残念なのは、人、わたしの履歴書、日曜日の書評欄、プラス1が読めなくなることかな? 新聞に何期待してきたんだか、わたし。
ニュース
エンタメ
話のネタ
あなたは、何を求めてメディアづけになっていますか?