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Itと呼ばれた子 幼年期、少年期、完結編

324-4(1406)Itと呼ばれた子 幼年期、少年期、完結編
ディヴ・ペルザー、ソニーマガジンズ、2003
単行本は1998年、1999年 
原著 A Child Called “It”(1995), The Lost Boy(1997), A Man Named Dave(1999)

最近著は”Moving Forward” その前文を公式ホームページからダウンロードして読むことができる。

「わたしたちの人生はわたしたちが作り出すものだ。どんな風に育てられても、どんな境遇にあっても、わたしたちは人生を、自分の、そして他者の人生をよりよくできるように努力できるし、夢はかなえられる。」

http://www.davepelzer.com/

この三部作は、現在、子どもへの虐待防止のための活動に取り組み、講演会、ラジオショーなどの啓発活動を行なっているディヴ・ペルザーの実話。

子どもの頃、母親から異常な虐待を受け続けながらも、生き延び、(幼年期)
やっと12歳になって、学校関係者の通報で児童福祉事務所の保護の下におかれることになり、里親のところを点々とし、里子に対する偏見や差別に苦しみ、万引きや暴行で刑務所まで入り、(少年期)
保護から自立を求められる18歳になり、空軍に志願し、結婚し、子どもを一人得、失業し、本を出版し、出版社に裏切られ、離婚し、再婚し、幸せに感謝する今日に至る(完結編)

幼年期は、そのあまりの異常さに、なぜ大人がもっと早く手を打てなかったのか、打たないのか理解に苦しむ。
一方で、子どもには何もできないことがよくわかる。家出をしても、警察に連れ戻され、連れ戻した警官が目にするのはとりつくろった母親の姿なのだから。
そして、母親が自分を虐待して、それで夫との関係がまずくなったり、学校から抗議の電話がきたりして、不幸になるのは「自分のせい」なのだから。自分がいなければ、虐待はないのだから。

確かに。「それ」問題がなければ、問題はない。母親がアルコール中毒になることも、ストレスも。

一方で、彼の母親のようにくずれていく人もいれば、ディヴのように虐待を生き抜き、自らは「何をしてはいけないかを学んだ」大人として、「やり遂げよう」とする人もいる。

山岸明子さんが「なぜDave Pelzerは立ち直ったのか?」という分析を行なっている。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006966311/
「その結果,まわりからのサポートを得られたこと,本人が心理的強さや肯定的な志向等のresilienceをもっていたこと,そしてサポートや状況要因と本人のもつ逆境に耐えうる資質がうまくかみ合って,マイナス要因を補強しプラス方向に導いたことが示された。」

わたしが何よりもあげたいのは「生き延びる」決意だ。母親に心を壊されないこと、虐待に負けないこと。生きることを選んだ時、彼は決意したのだ。

生きることを選んだ時、生きることは大変な努力のいることだった。息をすること、そこにいること、食べ物を得ること、すべてが状況の観察、特に母親、と工夫、すばやい行動の賜物なのだ。

だから、大人になっても、ディヴは何をするにも「自分のすべてを捧げて」「がんばる」。後書きに再婚相手のマーシャは言う。

もうすごい「偏り」が、ものすごい人生を生む。彼の場合は、成功例として。
そして、それは「生きる」ためにしたのと同じ努力を「よく生きる」ために注ぎ込みつづける結果として、なのだ。

確かに成功なのだろうが、どこか痛ましい。
by eric-blog | 2009-11-11 11:41 | ■週5プロジェクト09
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