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軋む社会 教育・仕事・若者の現在

323-4(1398)軋む社会 教育・仕事・若者の現在
本田由紀、双風舎、2008

なるほど、若者と仕事に焦点を当てて教育社会学者が教育を論じるということは、学歴に終始するのだなあ。

今日の日経新聞にESD-Jの全面広告が出ていたが、「若者-仕事-教育」と語る時に、教育内容、教育目標の変革が同時に語られなければ、無意味だ。

ブラウンの「機会の罠」は教育の高度化に見合った質の仕事の増加が対応していないことによって、過剰教育化傾向が激化するとして、「質の高い教育を万人が受ける」ようにする英国政府の方針を批判している。31, Globalization and Social Change, 2006

彼らが問題にしている「教育」は学歴でしかない。「質の高い教育」とは高学歴化の代用語だ。そうなのか? 

Better Quality Of Education for AllとESD持続可能な開発のための教育が言う時には、18歳以下の子どもに対する初等中等教育における教育目標が変わることを言う。中等教育は、高等教育のための下準備、下請け的な教育ではなく、独自の目標をもったものとしてリデザインされなければならない。選抜のための教育ではなく「すべての人びとのための教育」。それはすなわち、例え教科中心カリキュラムの形を取っていても、教科の背景にある自然科学社会科学的なものの見方・考え方を習熟するためのものであることや、総合的な学習において環境や人権などの人類共通の課題について関心を持ち、問題解決のために協力する態度・姿勢・行動の育成をはかること、また、学校に内在するヒドン・カリキュラムやヒドン・ルッセージも意識化し、Whole School ApproachによってESDのメッセージが伝わるようにすること。以上なような事柄が含まれる。

初等教育もしかり。中等教育の予備校ではない。

子どもは大人の予備校ではないのだ。

一方でそういう議論がある時に、教育社会学者が、知らぬ顔で、教育イコール学歴で物事を語っている。これが教育学科、教育学部の現実。

生涯学習社会における「新しい学習課題」にも、環境と人権は含まれている。
成人教育の目標においても、しかりだ。

わたしたちが学びなおすための手だてとしての「教育」。

「若者と仕事」について語っている教育社会学者が、「教育」についても語っているのかと期待して手に取ったが、残念だなあ。

内容としては「自己実現系ワーカホリック」という言葉の紹介がおもしろかった。しかし、これについて『搾取される若者たち』阿部真大を読む方がよさそうだ。86

居郷至伸の指摘する「家族システムの含み資産に依存する企業」というのも、うなづける。(118『若者の労働と生活世界』)

少なくとも、学校は、子どもたちのいまの居場所であり、生きているところだ。そのQOLを高めること。「教育」のいまを語らずに、「教育」の結果だけを語るのが教育社会学なのか? 「教育」の結果は、「教育」のいまと無関係に導き出されているとでも言うのだろうか?
by eric-blog | 2009-11-04 09:15 | ■週5プロジェクト09
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