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性の女性史

305-3(1327)性の女性史
ハリエット・ギルバート、現代書館、1995
A Women’s History of Sex, 1988

訳者の一人である朴和美さんからは「オモニたちの世代の生き延びる戦略」から「わたしたちの世代の解放の戦略」へと、女性問題の課題が変化したのだという視点をいただいたことが、強烈だった。1997年頃のことだから、この本を出されて以降のことだったということになる。後書きに、「実際、「女の視点」というハシゴを踏み外さないようにと注意深く登り続けてきたつもりなのに、それがやっとフェミニズムという舞台にたどり着いたと思った途端に、急にそのハシゴを外されてしまったような、そんなとまどいと不安の中にわたしは身をおいているのだ。」と、第二派フェミニズムが、フェミニズムが構築してきた枠組みそのものを相対化を迫っている、その論調の中に、身をおいていることへのとまどいを書かれている。251

とはいえ、行為主体者としての女の体験は記録されるべきであるし、さらには、アジアの、東アジアのセクシャリティについての歴史のテクストも必要だという。この本が明らかにしたような、さまざまな「憧れ・恐れ・倫理観・期待・先入観」というようなお荷物。それをわたしたちが生きる場に置いて、明らかにしたいと。252

朴さんの視点をいただいて、わたしにとって霧が晴れたのは、解放運動の後の「真空」に、もう一層「生き延びる」という層が加わったことだった。1955年生まれのわたしは、フェミニズム運動の担い手ではなく、そのメディアにおける露出のシャワーを浴びて育った世代ということになる。親たちの言うこなど、ティーンエイジの自立志向期とあいまって影響力が小さくなった。そして、大学時代に、実験的な同棲、見合いによらない自己選択としての相手探しなど。

それが「規範」であった世代とも言える。しかし、その規範は何を実現してくれるのか? 「反抗期」が反抗だけであるならば、それは空虚だ。その先に、自己実現があるからこその、反抗なのだ。

朴さんの言説と出会ったことで、わたしはそれまでフェミニズムに感じていたもやもやを一つ整理することができた。

家父長制度が生き延び、男性優位文化が支える男性中心社会。その中で「女」も「男」も、与えられた役割を引き受け、「生き延びる」。男の本懐を書く文学はそのまま男の生き苦しさ、硬直、滅私・抑圧、やせ我慢を書いているし、本懐を遂げることのない無数の男たちを描き出している。

「女」が描かれないのは、「規範」がきつくないからだ。だからこそ、戦中には「女」についての言説が急増するのだ。「女」も巻き込んだ総力戦としての近代戦を闘うために。

そのようなお荷物を整理し、女も男も自己実現の道を歩けること。それが「教育の人間化」というわたしの選んだテーマが目指すことだったのだと、整理がついた。では、実際にはどのような? という問いは、いまも続くのだが。

本題に戻ろう。

紀元前、農耕以前から、女がどう扱われて北かに始まり、農耕定着社会の到来を女も「便利」と喜びながら受け入れていった。その結果、備蓄、家畜、などの富が増え、「女」も所有物になっていくとは、予想もしなかったに違いないと。

女によって支配されている無文字社会はない。

そして、所有が始まってから、中世キリスト教の「悪魔としての女」の創造。性の抑圧。

1980年代のポップな論調、編集を楽しめる、本である。
by eric-blog | 2009-07-28 07:32 | ■週5プロジェクト09
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