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開発教育−21世紀の教育を考える

かくたです。
                         2003年9月22日配信
ジョン・フィエンの「環境教育や開発教育の融合ではなく、構成員からコミットメン
トを引き出すこと、そして「永劫」という見方を身につけること」ということを、い
まひとつ、自分のものとするために、1983年段階の開発教育をひも解いてみました。
今年が20周年だったのですね。

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19-1(71) 開発教育−21世紀の教育を考える
開発教育協議会、創刊号、1983年

金谷敏郎「これからの開発教育の展開を考える」

1980年の国連総会で、「開発の過程は、人間の尊厳を高めるものでなければならない。
開発の最終目的は、すべての人々が開発に十分に参加し、そのことによって、すべて
の人々を、常に、より幸せにしていくことにある。」と来ていし、開発は経済だけで
はなく、社会や文化を含む人間の価値観そのものまで含む概念であることを示してい
る。

Development Education 「開発教育」
Developmental Studies 「開発に関する研究」
Education for Development 「開発のための教育」
開発教育とは、工業国における教育活動であり、発展途上国における教育活動ではな
く、さらに開発そのものについての教育研究ではない、というふうに限定しておきた
い。

目標
人間の生き方に関わる教育活動。どの定義も態度の変容、行動様式の変化、生活様式
の変化を求めている。
1974年のユネスコ総会における人類主要問題の研究の課題領域のひとつ
1975年国連合同情報委員会による定義
「発展途上国の総合学習を導入部として、これらの国々が直面している諸問題、いわ
ゆる低開発の諸様相と特にその原因を理解させ、そのうえに立って低開発の諸様相を
克服し、人類社会の均質な発展をめざす態度を養う。

開発教育シンポジウム、1979年
開発教育とは何か、「クロスロード」特集記事、1979年

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20年をふりかえって、途上国と先進国の開発の課題の分断、開発に関する研究と教育
の分断、「均質な発展」とは何かという課題が気になる。

一番目の途上国と先進国の課題について言えば、先進国との関係で途上国の「低開発」
を理解する視点やそして国際協力という国際関係のあり方についての考察にも、深まっ
たものがあると言える。
二番目の研究と教育の分断については、分断ではなく、むしろ、研究の成果をどのよ
うに教育に取り込み、活かしえるかという課題として、まだ体制づくりなどは不十分
ではあるが、課題だと考えられてきていると思う。しかし、これは環境教育でも共通
しているのだが、「専門的研究者」と「教育内容・方法的研究者」の連携は難しい課
題である。ひとつの試みが「基本概念」についての共通理解を得られるような指導法
であり、その基本概念が時代によって変化するかもしれないことへの専門分野からの
貢献である。
三番目については、「持続可能な開発」が各々の地域や文化、社会によって違うこと
を大前提にしつつ、「最低限の基本的人権の保障」とは何かが常に問われているとこ
ろだ。

では、先週紹介したジョン・フィエンが指摘した「新しさ」とは何か。環境教育と開
発教育の融合ではなく、持続可能性を求める人間のあり方なのだというのは、どれほ
ど「新しい」のか。
もっと、ぴったりくる表現が必要だ。もっと、「あ、そうか」という表現が必要だと
思う。「持続可能な開発のための教育」とは個人も社会も変化するものであるという
前提のもとに、個人と社会が自覚的におのれを形成していくときに、目標としての
「持続可能性」を公共的共通概念として達成しようとすること、そのために協力でき
るようにすること。

対立的命題としては、
1.「社会は変化しなくてもいいのではないか」(日本社会の◯△□的抵抗」
2.個人や社会は本当に自覚的に自己形成、社会形成を成し遂げられるような存在な
のか。バリヤーは何か。
3.「持続可能性」は、どのようにすれば公共的概念として共有されたと言えるのか。
その内実の共通性はどのようにすれば保障されるのか。

というような議論に応える必要があるのだろうなー。

人類のサバイバルのための教育、なんだよなー。
by eric-blog | 2004-08-11 10:29 | ■週5プロジェクト03
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