290-4(1301)ずらり料理上手の台所
お勝手探検隊、マガジンハウス、2007
「小さな物語」を濃密に生きる。
この本に紹介された21人の台所にも、「小さな物語」が濃密に詰まっている。
料理というものが、人と人をつなぐせいか、家族の日常がしっかりと営まれている証だからか、そしてまた、その「ちいさな物語」の背景に、エコやロハスという「大文字の歴史」につながるものがあるからか、食物そのものが自然や環境、社会と「リアル」につながっているからか。リアルが充実、「リア充」な台所が、見ていてとても楽しい。
しかし、待てよ、と。「和の台所」じゃないな。
竃(へっついさんと田舎では呼んでいたか)に羽釜、水屋に茶箪笥、井戸に七厘、箱膳に白地に青絵の什器、そんなものが「和」、伝統的なライフスタイル、明治以前のもの。わたしの記憶とイメージ。
「日本の台所」ですらない。
「日本の」と言えば、炊飯器、煮込み鍋、魚焼きグリル、和洋中の食器の混在。
かな?
代わりに共通しているのは「デンマーク・ダンスク」のホーロー鍋?
いえいえ、包丁とまな板。菜箸。そして、狭さ。あ、やっぱり、日本だ。
ケンタロウさんが、自分が小学生の頃、パスタを湯がいた鍋を実家から持ってきて使っている。
家族の記憶が残っているものも、おいしさだと、「そういう目に見えない記憶のようなものが、料理をおいしくするんだと思うんです」と、高山さん。
わが家の台所の最新の工夫は、キッチン・クロス。15×15センチ程度のタオルハンカチがたまってきているけれど、ハンカチとしては使わない。それにループをつけて、10枚ほど
フックで吊るす。どんどん使って、どんどん洗う。
水切りカゴではなくて皿立てを使っているのもお気に入り。
ミキサーはイワタニのミルサーという小型のものと、大きなガラス製の重たいもの。両方使っている。小型のものは毎朝のヨーグルトジュースに、大きいものは野菜のポタージュに。
毎朝の紅茶を入れるポットもお気に入りだが、口が欠けたので、どうしよう?
鬼おろしは、結局「野菜突き」型の方が好きだからと、買わずにいたら、なんと百円ショップに! 驚いた。
何かと入れ替わりながら、いつもお気に入り。それが台所に立とうという気持ちにつながるんだろうなあ。
いまのマンションに2003年1月に引っ越してから書き始めた「お料理ノート」も四冊目。二度と同じ料理はなかったのではないか、というか、再現性のなさがプロでない所以。
食育にも、シンキング・スキルのその先を込めて、取り組めるといいねぇ。
台所や日常って、リアルに何か、工夫することができる直近の場だからねぇ。