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西欧の正義、日本の正義

かくたです。
                            2003年6月24日配信
「いしかわ地球市民の会」の研修で、正義について共通理解をもとうとしたら、まっ
たくさまざまな意見が出て、まとまらず、ただ、その概念について検討したことは、
無意味ではなかったのですが、ちょっと、日本の正義について調べて見ました。

二冊読んだもののうちのひとつです。
日本のことについて語るのはこりごりです。古文的単語が変換されない変換されない。
(--); 苦労しました。!(;;)!

この上、文字化けなどの問題が起こらないことを祈ります。笑ったのは、「ウルトラ
マン」です。研修でも、正義の連想中に必ず出ると言ってました。すごい! なるほ
ど、正義といったら「うさんくさく」感じるのは、無限責任的なものでなければ正義
とは感じられない原則だからですね。

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西欧の正義 日本の正義
日本文化会議編
三修社, 1980


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「日本における正義」pp.174-191 (佐藤誠三郎)

権利、社会、競争、議会など、訳語として明治以降に造語されたものは少なくない。
しかし、不義は古い。

718年の養令律にも「不義」はある
1232年の御成敗式目には、「正義にあらず」という規定の文章がある
「ワガ御心ニハ是ヲ正義トノミオボシメシ」というように、勝手にこれが正義なのだ
と考えて恣意的な統治をする上皇批判の文章が愚管抄にもある
日蓮は「法華経の正義」というように、「正しい教え」という意味で使っている
「正しい解釈」という意味で使った場合もある

正義とは、他者との関係を律する行為基準の一つ。
人間関係の正統的モデルが異なるとともに、正義の内容も変わる
しかし、複雑化した社会では、人々は、通常複数の組織に属している
正義が問題になるのは、上位組織と下位組織とにおける行為規範が矛盾する場合であ
る。
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で、日本における正義の葛藤のもとになる「イエ」と「ムラ」という異なる組織原理
について、佐藤は次のようにまとめている。
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イエとムラの検討

ムラはメンバーの平等性を基本とする=限られた生活分野における協力と「鎮守の祭」
とで結ばれた生活共同体、平等主義的で分権的であるが、少数派も多数派に結局同調
する、多様な利害の超長期多角決済への期待と恐怖、などによって暗黙のうちに「取
り引き」される、

イエは階層的な役割構造をもった機能性の高い集団=永遠の存続・繁栄を目指して団
結した経営共同体=「命令一下」、命令の効率をあげるための諮問と根回し、上位者
に対する下位者の忠誠、能動的な献身; 命令の無批判的受容ではなく、建設的批判に
よる命令の改善が下位者の責務、(しかし、階層社会なので、ということになるかな)
「諌言」できるのは重臣のみ、そこまで出世することが「至誠の忠節」; 上位者の無
限責任意識、下位者に対する上位者の仁慈、それをもっともよく表わしているのが上
杉治憲(鷹山)の訓示

「外」に対して団結している以上、「内」の秘密や弱点を外部に漏らすことは、イエ
でもムラでも厳禁
同質性を前提にしているのが、メンバー間の協調とコンセンサスによる意思決定
(『にっぽん部落』きだみのる参照)
信頼の社会、「人間相互債務論」(イザヤ・ベンダサン『日本教徒』)恩をお互いに売
り合っている、のは共通。正義の人と呼ばれるのは「施恩の権利」を完全に放棄し、
「受恩の義務」を超過支払する人物のこと。組織全体に対して献身するとき、「受恩
の義務」は真に十分に果たされる。「義士」「義民」
「正義の味方」が、終始孤独な存在であり続けるのは、もし何らかの集団のメンバー
となれば、そこで直ちに「受恩の義務」が発生して、恩の支払超過額がそのぶんだけ
減少し、百パーセントの純義人であり得なくなるから。
さらにウルトラマン以後になると、正義の味方は、地球上に生息する存在として負わ
なければならないいかなる「受恩の義務」からも完全に自由な宇宙人となる。それは
日本的義人の、宇宙時代における極限的純粋形態なのである。

*180
イエ組織、ムラ組織の成長の限界=大規模社会では機能しない。
忠誠と仁慈の形骸化=暗黙の取り引き、個別的な忠誠、裁量的配慮の限界
「法による行政」が優位に。
個別的で「善悪」を超えた忠誠や、「道理」を無視した配慮は、いまや不公平をもた
らし、全体的秩序を破壊しかねない危険な行為となる。
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で、佐藤は、「赤穂浪士」と幕末の「尊王攘夷」に葛藤の例をみるという。

整理されていませんが、その他、抜き書きのみ。

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*148
日本ではそもそも正義という言葉は、人間の間の相互関係というよりは、個人の内面
的な正しさに関する概念なのではないか(公文)

この世には人間の相互依存関係を律する規範がある
「世間」とはこのような相互依存関係によって構成された社会のこと
「道理」とか「義理」とか「人倫の道」とかは、世間を律する規範
「恩」とは他者の好意に依存したことから生ずる債務
「世間」の相互依存関係は超長期で多角決済の行われている世界
「不義理」「忘恩」「不正」は、いつかは必ず「しかえし」をくらったり「ばち」が
当たる
具体的な人間によって比較的短期間のうちに行われるのが「しかえし」
より長期的に、因果応報(不正とばちとの因果関係)は広く信じられている
(佐藤誠三郎)

*149
日本文化会議による第2回日本人の法意識調査
・悪いことをしたらバチがあたる 56.7%
・いいことをしたときも、悪いことをしたときも、神や仏はこれを知っていると思う
か 43%
・人のたたりはあると思いますか 46%
・うそつきは泥棒の始まりだと思いますか 50%
by eric-blog | 2004-08-04 10:29 | ■週5プロジェクト03
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