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被差別部落の我が半生

269-3(1208)被差別部落の我が半生

山下力、平凡社新書、2004

奈良柏原市の水平社博物館を訪ねた時を思いだす。りっぱな施設であり、充実した資料が揃っていた。部落差別の歴史、部落解放運動が達成したものは、公的に、しっかり伝えていく必要があると思う。「部落であることが恥なのではなく、部落差別が日本の恥なのだ」ということを伝えるために。

消えぬ差別意識
人権侵害や差別を受けたときに、黙って我慢する人が日本人全体では6パーセント、部落の人は46パーセントが黙って我慢する。77
女性差別同様、自己卑下感や低い自尊感情、加えて期待される役割意識、行動様式などが、差別を見逃し、許し、受け入れさせるのだ。
「コンプレックスが差別を受け入れてしまう」115

これからの運動は劣等感や後ろめたさをなくすこと。

「同和対策」という特別枠で解決できる問題は何もないと著者は言い切る。市場主義経済原理は零細、年金受給者、病者や「障害者」、外国人労働者などにも厳しい状況を強いている。81

部落解放運動の間違いも、著者は率直に語る。糾弾で解決できる時代と問題ではなくなったのだと。

著者は部落の起源は「山の民」と「農耕の民」の生産力格差と、民には肉食を放棄させつつ、自分たちは「薬食い」を続けた支配階級や武士による囲い込みに見る。
近世政治起源説はとらないわけだが、わたしは300年に渡る身分・職業・居住地の固定がいまに与える影響の大きさは無視できないと思う。

「糾弾や」と呼ばれた著者が率いる奈良県部落解放同盟支部連合会が組織的糾弾をしないことを決定したのは2001年4月の第42回定期大会であったという。日常的な個人的差別事象については、一人ひとりがアサーティブに主張し自己変革を求めるのだという。
by eric-blog | 2008-11-26 15:59 | ■週5プロジェクト08
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