人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「病いの経験」を聞き取る

268-5(1205) 「病いの経験」を聞き取る
蘭由岐子、皓星社、2004

神谷美恵子が、子どもを持てない彼/彼女らの気持ちにおもんばかって、自分自身の家族や子どものことには触れずに、インタビューした姿勢と、著者が子育ての苦労を話題にし、配慮される関係とを引き比べる。
1980年代の研究といまの違いは何かについて著者がそれ以上踏み込むことはない。

経験は一人の人間を定義する。という森有正を引き、「フィールドワークの報告を書くということは「わたし」の生活史をあからさまにすることである、と実感した」と後書きに書く。

しかし、ハンセン病者に対する「聞き取りの経験」という10年が、著者を「ハンセン病者に対する聞き取り第一人者」にし、引用される存在にしたことと、「病いの経験」の非対称性についての言及はない。

文化人類学というと、『ブリンジ・ヌガグ』が思い出される。飢餓のアフリカに、飢えていないヨーロッパ人が、食糧を携えて住み込み、フィールドワークする。
その「現場の観察」と「聞き取り」の重奏が、わたしのフィールドワークの評価基準だ。それと比べると・・・

エスノメソドロジーをエスノグラフィーするということと、「経験を聞き取る」ということの距離をこれほど感じた本はなかったということだ。経験を言語化する人々と、してこなかった人々との違いだけの問題なのか?

ハンセン病者(元患者という表現についての考察もある)を取り巻くエスノメソドロジーをフィールドワークするとすれば、「聞き取り」だけではないはずだ。

よく引用されていたので、期待して読んだだけに、「語り」の「聞き取り」であることに驚いた。1996年以前の「聞き取り」の意味と以降の意味をもっと掘り下げたり、そして、6000人が4000人と減って行くばかりのハンセン病者らの、「経験」を語る「経験」を生き続けることの意味への視線がありえないものだろうか? 
それと、自分自身の10年を引き比べることの中にこそ、差別の経験が、照らし出されるのではないのか。

差別につながるかもしれない隔離的治療体験がある人々が60代を越えてしまった、いま、となっては、聞き取りそのものが癒しであることは、疑い得ないけれど。
by eric-blog | 2008-11-22 08:11 | ■週5プロジェクト08
<< 日本の民主主義 変わる政治・変... わが道はチベットに通ず >>