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生きながら火に焼かれて

                        2004年7月28日配信
50-3(209) 生きながら火に焼かれて
スアド
ソニーマガジン、2004

ヨルダン川西岸のシスヨルダンの村に生まれた女の子は、学校に通うこともなく、家のために働いている。父親が暴力を振るうのは当たり前。そして、結婚しても夫の暴力は当たり前。そんな風に男に支配された村社会で、女の子は、それでも「結婚」がいまの父親の家での生活からの解放であり、村社会からの壮大な祝福の対象であることから、結婚を夢見る。その相手は向かいの家の息子。
想いが通じて逢引するが、結婚の申し込みもしないまま、性交渉を求められる。3回の交渉で妊娠。妊娠を知った男は、恐怖のあまりとんずら。娘の父親からどんな目に合わされるかわからないからだ。
そして、妊娠がばれた女の子は「名誉の殺人」により、義理の兄によって頭から油を注がれ火を放たれる。

命をとりとめ担ぎ込まれた病院でも、「名誉の殺人」の結果であれば、治療をすることもできず、死を期待されたまま放置される。そこに「人間の大地」で働く女性、ジャクリーヌが、うわさを聞いてやってくる。「助けてあげる」と全身がただれた女の子の耳元にささやいて。

いまは「出現」という団体をジャクリーヌたちは組織し、同じように「名誉の殺人」の犠牲になりかけている女の子たちを救援する活動を行っている。

「前時代的な野蛮な風習」とスアドが呼ぶこの村社会から、女の子たちが人生を取り戻すのは、どんな方法なのでだろうか。スアドは自分の息子にも「復讐心」はもってほしくないと願う。個人ではなく風習の問題なのだからと。
読後、静かに流れる涙が、止まらない。何かを変える時、「否定による真空」ではないものを持つと思える人々が、解放を唱えることができるのだと、思う。そう考えると自分の無力さを思い知る。でも、行動してみよう。

SURGIR出現の連絡先
www.surgir.ch
アマゾンのマーケットプレイスで中古のものを買ったが、書店では品切れ。名古屋で車内づり広告で「大増刷でき」とあったが、どうしてどうして、どこでも手に入らなかった。
顔をあきらかにできないために、マスクをした著者の顔のクローズアップの表紙が印象的。
by eric-blog | 2004-07-28 10:27 | ■週5プロジェクト04
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