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多文化世界

                           2003年5月6日配信
「ベトナムの学校では、授業中に発言する生徒は軽くぶたれるなどして、発言を押さえられる。生徒達は身じろぎもせずにすわって、教師から話しかけられた時だけ答えるように条件づけられている。このような背景があるので・・・授業で自由に発言することはベトナムの子ども達にとってはむずかしい。したがってベトナムの子どもたちが恥ずかしがって発言しないのをやる気がないのだと誤った解釈をしないように」(アメリカ連邦教育局「ベトナム人を教えるにあたって」教師用指導の手引き)
「きびしく言われないないので、生徒は教師を尊敬しなくなる。生徒は無秩序にふるまい、始終ぺちゃくちゃ話しているように条件づけられている。このような背景があるので、アメリカ人の生徒は、授業中適切な態度や教師を敬う態度を取ることが難しい。したがって無礼なふるまいをしても尊敬の念を欠いているからだと誤って解釈してはならない。」
251-2

2(4)  多文化世界
違いを学び共存への道を探る
ホフステード,G.著、岩井紀子・岩井八郎訳、1995年、有斐閣
原著Cultures and Organizations-Software of the mind
Geert Hofstede,1991, McGraw-Hill Book Company

ハーバード式「協調的交渉術」の翻訳者であり、指導者でもある野沢聡子さんと、ERICとでコンフリクト研究会を行った時は、まだこの本を手にしていなかった。
野沢さんからのワークシートを元に、ホフステードの異文化比較の5つの視点を学び、その中から日本型コンフリクトに関する要素を考えたのが「日本社会の◯△□」である。◯△□とは「均質さを好む」「力の格差・上下関係にうるさい」「変化を嫌う」というのが、対立をしにくい土壌となっているのではないかという仮説だ。
今年に入って、ホフステッドの翻訳が出ていることを、野沢さんから教えてもらい、この本を手にとった。一言で言えば、質問項目によるアンケート方式で、項目間の相関や傾向によって文化比較を行っている研究である。
そこからさらに見えてきたのは、日本社会の「参加の文化」を考える時、「女性らしさ」という比較軸の扱いだ。これは、性別役割が強くないという傾向を表わす言葉なので、わたしはこの表現自体に異和感があり、◯△□の軸にも入れなかったのだが、ホフステッドは、その軸が「民主的な社会」と相関関係が高いのだと、レポートする。しかも、この軸は「高緯度地域」と「人口規模が小さい」国と相関が高いというのだ。
ひえー、日本社会の挑戦は、対立の扱い方だけでなく、「人口規模」の問題とは何かを考える必要があるということなのだ。
地球サミットのころ、市民フォーラム2001で、スウェーデン事情に詳しい小沢徳太郎さんという環境評論家の方と、「スウェーデンのような民主主義は人口規模が小さいから可能なのだ」とやりあったことが思い出される。彼は、絶対にそんなことはないと主張したのだが。
自分の考えが比較文化学的にも証明されたところで、「参加の文化」づくりの課題は変わらないので、ショック、であるとともに、次の知りたいこと、考えたいことも、明らかになった。
ホフステッドが、一人の人間の行動や考え方を規定する文化を「普遍的・遺伝子レベルの人間性」「社会に共有される文化」「パーソナリティ」とシンプルに階層化しているのも、わかりやすい。もっともその文化には「国籍、地域・民族・宗教・言語、性別、世代、社会階級、組織ないしは企業」などが重層的に含まれているのであるが。
比較文化によって、自らを知ることは、相対主義的に並列することを認めることではなく、自らのこれからを考えるためにこそ必要なのだというのが、わたしがこの本をお進めする理由であり、決して、「あー、アメリカの文化はこうなのか、だったら、こう対応すればいいのね」というようなコミュニケーションや交渉能力を高めたいためではないのです。
そのことは、ホフステッドも言っているのだが、なぜ、交渉術を考えるための基礎文献みたいになっているのだろうか。不思議だ。「多重知能論」なども、人事の面からの研究だったし、管理職のためのノウハウのようにも発展するし、何の、どのような情報も、どう使うか、なのでしょうね。



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それぞれの費とのメンタル・プログラムの源は、その人が成長し、人生経験を積み上げてきた社会環境の中にある。
 メンタル・ソフトウェアは一般には、文化と呼ばれている。「文化」は「文明」または「精神の洗練」を意味し、とくに、教養や芸術や文学の様に洗練された精神によって生み出されるものを意味する。これは「狭い意味の文化」であり、私はしばしばこれを「カルチャー1」と呼んでいる。しかし、メンタル・ソフトウェアとしての文化は、社会人類学者が対象としているようなもっと広い意味を持っている。私はこの広義の文化を「カルチャー2」と呼ぶが、これが本書で扱う文化の概念の意味するところである。
 文化は、常に集合的な現象である。なぜなら、同じ社会環境のなかで生きてい人々あるいは生きてきた人々は、その環境のもとで文化を学習しているので、少なくとも部分的には同じ文化を共有しているからである。
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文化は、集合的に人間の心に組み込まれるものであり、集団によってあるいはカテゴリーによってそのプログラムは異なっている。
 文化は遺伝によって伝達されるものではなく、学習されるものである。文化は社会環境に起源を発するものであって、遺伝子に文化の起源はない。

人間性=普遍的−遺伝
文化=集団やカテゴリーに特有−学習
パーソナリティ=それぞれの人に特有−遺伝+学習
文化の影響によってパーソナリティが変容する
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文化相対主義

クロード・レヴィ=ストロースは、文化相対主義の立場について次のように述べている。
「いかなる文化も他の文化の活動の程度が「劣っている」とか「香り高い」と判断する絶対的な基準など持っていないというのが、文化相対主義の主張です。ただし、どの文化でも自分たちの活動に対しても、そのような判断を向けることができるし、そうすべきです。なぜなら、その文化を共有する人々は、文化の観察者であると同時に文化の担い手てもあるからです。」「遠近の回想」みすず書房、1991年
 文化相対主義は、自分自身の活動にも自分が属している社会の活動にもまったく判断を下さないというわけではない。自分たちとは異質な集団あるいは社会を対象とする時に、安易に判断を下すことに対して警告を発しているのである。
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 ,,,文化の部外者はやはりその社会のやり方を快く思わない傾向がある。,,,植民地時代が過去のものとなった現在、他の社会でのやり方を変えたいと考える者は、交渉を通じて介入しなければならない。

7
シンボル・ヒーロー・儀礼・価値観

シンボルとは、同じ文化を共有している人々だけが理解できる、特別な意味を持つ言葉、しぐさ、図あるいは物である。
ヒーローとは、その文化で非常に高く評価される特徴を備えていて、人々の行動のモデルとされる人物である。
儀礼とは、人々が集団で行うものであるが、望ましい目的に到達するための手段としては、なんの役にもたたないものである。,,,挨拶の仕方や尊敬の表し方、社会的儀礼や宗教的儀礼がそうである。

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望ましいものとは、世界がどうあるべきかについて人々が望んでいることであり、現実に求めるものとは、人々が自分自身のために手にいれたいもののことである。,,,したがって、望ましいものについてたずねた質問は、人々が何を善と考え、何を罪と考えているかを聞いていることになる。
望ましいものと現実に求めるものとの違いを無視して、価値観の研究を進めると、矛盾する結果が生まれてしまうことがある。

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文化の重層性
国籍、地域・民族・宗教・言語、性別、世代、社会階級、組織ないしは企業
 このようにさまざまなレベルで形成されているメンタル・プログラムは、必ずしも調和を保っているわけではない。
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国民文化の次元

共通の問題
1権威との関係
2自己概念
a個人と社会との関係
b男性らしさと女性らしさについての概念
3葛藤の解決の仕方−攻撃性のコントロールおよび感情の表現方法を含む

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IBMの調査から

1権威との関係をはじめとする、社会的不平等
2個人と集団との関係
3男性らしさと女性らしさの概念−社会的意味
4不確実性への対処の仕方−攻撃性のコントロールと感情の表現に関係する
すべての人間社会にとって基本的な問題は、アプローチの仕方が異なっていても、当然浮かびあがってくるものである。
文化の次元とは、他の文化と比較した時に相対的にとらえることができる側面である。
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5長期志向対短期志向の次元

5次元モデルのかわりに類型論によって差をしめすこともできる。 

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性差を文化に結び付けて語ることはあまりない。
女性が,,,男性の文化で重要であると考えられているシンボルを持たず、ヒーローのイメージに当てはまらず、儀礼に参加せず、その価値観を育んでいないからである。,,,異性の行動に対して持つ感情や恐れは、異文化に接した時の反応と同じぐらい頑強なものである。
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権力格差の小さい国では,,,部下と上司は相互依存関係にある。
権力格差の大きい国では、部下は上司にかなり依存している。部下の反応は、そのような依存関係を好むか、そのような依存関係を完全に拒否するかのどちらかである。(反依存)このように権力格差の大きい国では、依存と反依存という両極端のパターンが見られる。

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権力格差スコアは、次の3つの変数を用いるとかなり正確に予測することができる。
1国の位置する緯度(緯度が高いほど、権力格差指標のスコアは低い)
2国の人口規模(人口規模が大きいほど、権力格差指標のスコアは高い)
3国の富(富める国ほど権力格差指標のスコアは低い)

46-47
権力と依存、自立、相互依存に関するメンタル・プログラムが世界的に同質化することは、たとえ実現するにしてもはるかに先のことだろう。

第3章私、われわれ、やつら

Hall, Edward T. 1976, Beyond Culture 「文化を超えて」TBSブリタニカ、1979年
「高コンテキスト」「低コンテキスト」
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個人主義対集団主義
個人主義では
1個人の時間
2自由
3やりがい
組織からの自立

集団主義では
4訓練
5作業環境
6技能の発揮
組織が社員に提供する事柄。組織に対する社員の依存性

個人主義的な国は裕福で、集団主義的な国は貧しいという傾向がある。

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「ある人に息子が2人いたが、
承知しました行かない
いやです行く
どたらが父親の望み通りにしたか」(マタイによる福音書)
聖書の答えは後者である。インドネシア人の信者たちは前者を選んだ。
集団主義的な家庭の子どもは、他者との関係から、自分の意見としてふさわしい立場を定めるようになる。「個人的な意見」というものは存在しない。


79

国民文化が収斂するとすれば、この次元においてだろう。国の裕福さと個人主義との強い関係は否定できない。急速に経済発展を遂げた国々では、個人主義的な傾向への移行が認められる。日本がその例である。,,,しかしながら、日本社会に独自な集団主義的な要素が、家族や学校や職場に残る可能性は非常に高い。,,,文化は移り変わる。しかしどの文化も共に動くので、文化差はそのまま残るのである。
 世界の貧しい国々に関して言えば、これらの国が貧しい状態のままであるならば、個人主義化する理由は見当たらない。

83
 男女の身体的な差異のなかでも、子どもを生み生ませることとは直接関係ない差異は、絶対的なものではなく、統計的なものである。
 男女の絶対的あるいは統計的な生物学的差異は世界中で共通している。しかし、男女の社会的役割のなかで、生物学的条件によって決定されているのは、ほんの一部分にすぎない。どの社会も、生殖に直接関係しない多くの行動を女性にふさわしい行動であるとか、男性にふさわしい行動であるとみなしている。しかし、どの行動がどちらの性にふさわしい行動であるかは、社会によって異なっている。,,,社会的な性役割にはかなり多様な形態がありうること()Mead,1962,「男性と女性」1961年東京創元社

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性別役割(ジェンダー・ロール)
男性は家庭の外での業績自己主張が強く競争好きでたくましい
女性は、家事や育児や人間関係全般に関心を持ち、やさしい役割

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男性らしさを特徴とする社会では、社会生活上で男女の性別役割がはっきりと分かれている。
女性らしさを特徴とする社会では、社会生活の上で男女の性別役割が重なりあっている。


102
男性らしさ−女性らしさの次元は
1強者への報酬対弱者との連帯
2経済成長対環境保護
3軍事費対海外援助
のそれぞれの領域でどちらが優先されるかに影響を及ぼしている。
男性らしさの強い文化を持つ国は業績主義の社会をめざし、女性らしさの強い文化をもつ国は福祉社会をめざしている。

103
「成長の限界Limits to Growth」(1972、ローマ・クラブ)は、経済成長の持続と生活環境の保全は、根本的に矛盾する目標であるということを最初に公に認めた書物である。,,,男性らしさの強い文化のもとにある政府は、経済成長を優先し、その目的のためには生活環境を犠牲にしてしまう傾向がある。女性らしさの強い文化のもとにある政府は、逆に生活環境を優先する傾向がある。
内部市場の開放を実現するためには、環境保護に関する規則を統一するひとが必要である。

104
開発援助金の比率の高さを説明できる要因は、女性らしさの強い価値システムを持つ国であるかどうかということだけである。
105
防衛費がGNPに占める割合は、男性らしさと正の相関を示している。

107
男性らしさの強い国ほど神は重要であるという意識が強い。キリスト教の神は「父なる」存在であって、男性的である。,,,男性らしさの強い文化においてとりわけ強調されているのは、もっぱら神という名の持つ情緒的な意味合いである。

108
男性らしさの強いフェミニズムは、女性も男性と同じだけの可能性を持つべきであると主張する。,,,女性らしさの強いフェミニズムは、男性を含めて社会全体を変革することを望んでいる。

110
女性らしさは、裕福な国では大家族を意味し、貧しい国では小さな家族を意味する。

111
男性らしさと年齢との関係は、たいへんはっきりしており、どの国でも同じような傾向を示している。若年の男性は、男性らしさの非常に強い価値観を持ち、若年の女性も男性らしさの比較的強い価値観を持っている。年配の男性は、明らかに女性らしさの強い価値観を持っており、年配の女性も同様である。
人口の高齢化によって、女性らしさの強い価値観への移行が見られるだろう。
科学技術の発展と社会全体の変化によって、幼い子どもを持つ女性も男性とともに社会参加することが可能になる。女性の社会参加が、急速に、問題なく進んだところはどこにもないが、これは後戻りできない方向のようである。実際にすべての工業国で、上級職の仕事に従事する女性が増加するであろう。その数が増えるにつれて、女性たちは女性らしさの強い価値観を維持することができるようになるだろう。もはや、大多数を占める男性たちに同化する必要はなくなるのである。
112
[科学技術の進歩にともなう仕事の変化について]
オートメーション化できない仕事は、まず人生や社会の目標設定にかかわるものである。
創造的な仕事
安全、保障、防衛、維持に関するような、予期できない出来事に対処するさまざまな仕事
管理、娯楽、社交、相談、物質的・精神的な援助、学習に対する動機づけなど、人間関係を本質とするさまざまな仕事
ここにあげたようなオートメーション化できない仕事を遂行する時には、男性らしさの強い価値観と並んで女性らしさの強い価値観が必要である。,,,人への配慮を必要とする職務よりも業績を上げることに関係する職務の方が、オートメーション化が進みやすい。結局、技術発展は、男性らしさの強い価値観よりも女性らしさの強い価値観の必要性を高める傾向がある。

115
第5章違うということは危険なことである

uncertainty avoidance不確実性の回避

不確実であるという感情も獲得され学習されるものである。


146
滅亡にいたることなく、不安の高まりを回避する道を見い出すことができるかどうかに、人類の未来がかかっているといえよう。

234
文化の違いが大きい二つの社会の間での開発協力がうまくいくかどうかは、それぞれの社会のメンバーがお互いの文化をどれほど理解できるかにかかっているということが、次第に理解されてきている。国を発展させることができるのは、その国の国民だけである。それゆえ、外国の専門家と言えども、地域の状況に彼等のノウハウが適用できる場合にのみ、そしてそこに住む人々が彼等の援助を何よりも必要としている場合にのみ、役にたつことができるのである。
236
開発協力に従事する専門家に、どのような対人コミュニケーションの資質が求められるかに関する画期的な研究結果が1979年に出版された。(Hawes and Kealey)その結果、会がいでの有効性は3つの要素からなることがわかった。
1異文化交流の経験があり異文化交流のトレーニングを受けていること。
2有効な専門技術を備えていること。
3個人並びに家族の適応力と満足感。
海外に赴任していた人々は、これらの3つの要素のうち二番目と三番目の要素については秀でていたが、最初の要素を欠いていた。
技術的ノウハウと文化的ノウハウがお互いに交換されるときに実り多いものとなる248
異文化とのコミュニケーションを学ぶコースには2通りある。
異文化についての知識を習得する、言葉を学ぶ
249
異文化とのコミュニケーションの能力を向上させるもう一つのコースは、文化差について自覚を高め、文化差についての一般的な知識を習得することに重きを置いている。文化差についての自覚を高める訓練では、自分自身の精神構造を理解し、またそれが他の文化圏の人の精神構造とどのように異なっているかを理解することに焦点を絞っている。,,,赴任先によって訓練の内容が変わることはない。これは,,,むしろどのように仕事を遂行するかという問題に対処するコースである。
250
異文化間コミュニケーションのトレーニングに参加するとよいと思われる人達は他にもいる。移民、難民、旅行者や留学生など外国からやってきた人々と毎日職場で接している人々である。「い文化の接触点で働いている人たち」は、学校の先生、警察官、医者、看護婦、ソーシャル・ワーカー、移民局の職員、弁護士、裁判官、少数民族を雇用している企業の人事課の社員などである。これらの人たちには、文化差を自覚するトレーニングに手を加えたプログラムがふさわしい。
,,,異文化の接触点で働いている人たちのなかでも、偏見が強かったり感受性が欠けていて異文化間コミュニケーションのトレーニングをもっとも必要としていると思われる人が、実際にはなかなかトレーニングに参加してくれない。
カルチャー・アシミレーター(文化同化の手引き)は、プログラム化された学習教材で、異文化と出会った登場人物が何らかの行動を取ろうとしている場面を描いた、100ほどの短い事例が集められている。個々の事例では状況を説明した後、登場人物が次に取る行動について4つの選択肢があげられている。登場人物がおかれている文化において大多数の人々が共通して取る行動はそのうちの一つだけである。
カルチャー・アシミレーターは1960年代の終わりから、アメリカのフレッド・フィードラー、テレンス・ミッチェルおよびハリー・トリアンディスによって開発された。(1971)
251
1980年代には、ハワイ大学にある,,,,ジェネラル・カルチャー・アシミレーターを開発した。Brislin et al.,1986
251
文化差を感受することは微妙な問題であり、常に偏見がつきまとっている。

254
文化のプログラミング
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どの国も自国で支配的なメンタル・ソフトウェアに対して道徳的にかなり肩いれしている。だから、どの国も文化差について話し合うことに対しては共通のためらいがある。
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異文化との出会いが成功するためには、まずパートナーたちがそれぞれ自分自身の価値観を信じることが前提条件である。もしそれができなければ、彼等はアイデンティティの感覚を欠いた疎外された人間である。アイデンティティの感覚があれば安心感が高まり、他の文化と開かれた心で出会うことができる。多文化世界で生き残るための原則は、現実の問題で同意して協力するとしても、相手と同じように考え、感時、そして行動する必要はないということである。
,,,だからこそ、それぞれ独自の価値観を持ったさまざまな国の人々からなる国際的な組織が存在しうるのである。

親へのアドバイス
どう語るか、どんな異文化体験を持つか、言語の習得

管理職へのアドバイス
メディアへのアドバイス
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地球全体の危機が異文化間協力を求める

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西洋スタイルの民主主義政府は、権力格差があまり大きすぎないことと、それ以上に表現の自由や結社の自由を保証する、かなり強固な個人主義が存在することを前提条件としている。
個人主義的傾向と権力格差が小さいことはどたらも国の裕福さと相関がある。,,,西洋スタイルの民主主義政府は、金持ちの国々だけが享受できる贅沢である。教育水準が低く栄養状態のよくない国には貧弱な民主主義しか育たない。民主主義にとって、富は必要条件ではあるが、十分条件ではない。

 
by eric-blog | 2004-07-27 18:39 | ■週5プロジェクト03
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