235-2(1144)無知
ミラン・クンデラ、集英社、2001
わしたちは、人生のさまざまなステージに、常に初めて立ち向かう、無知な存在なのである。
その無知の結果を引き受けていくというのはどういうことか。を、亡命者の立場について、書き出したもの。著者自身も亡命者。
亡命者が、亡命先の国で見る夢は、みんな同じ。
20年後、体制が変わり、帰国が可能になる。
なぜ、あなたは帰らないの?
(あなたのこれまでの友情は「亡命者」に対してだけのものだったのね)
では、国に帰ってみる。
国に居続けた人と、亡命者の間に、どのような溝があるだろうか。
「故郷」に居続けた人は、その時間を生き続けようとし、亡命者が生き続けた20年には関心を持たない。
亡命者が帰郷を果たす条件は、その時間の流れへのキャッチアップと同化だ。
なんという描写の力だ。
ノスタルジーの語源は、帰還の苦しみ。
帰りたいという満たされぬ思い。
昼は捨てた国の微に照らされ、夜はそこに戻される恐怖に照らされた。22
怯え、小さくなっている娘がそばにいるのを見ると、できるだけその破壊的な優位の瞬間を長引かせた。27
一着のドレスの魔力によって、心ならずももう外に出ることができない生活に閉じ込められた自分が見えた。38
オデュッセウスの不在のあいだ、イタケーの人々は、彼の思い出をたくさん抱き続けていたが、彼に対してはどんな懐かしさも感じなかった。一方のオデュッセウスが郷愁に苦しみ、ほとんど何も思い出さなかったというのに。40
自分の人生の神髄は、20年の彷徨にあることに気づく。・・・それを見いだそうとするには、話すしかない。41
わたしは新たにあの人たちと一緒に生きようとすれば生きられるわ。でも、それには、条件があるの。わたしがあなたと、あなたたちと、フランス人たちと一緒に経験したことをすべて、厳粛に祖国の祭壇のうえに置き、そこに火をかけなければならないという条件が。52
ラ・ロシュフーコー
「われわれは障害のさまざまな年齢にまったくの新参者としてたどり着く。だから、多くの場合、いくら年をとっていても、その年齢においては経験不足なのである。」214
伝統的な社会においては、役割社会においては、これは真ではない気がするのだが。
『存在の耐えられない軽さ』を読みたくなる。