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フィールドワークへの挑戦

225-1(1099)フィールドワークへの挑戦
菅原和孝、世界思想社、2006

指導した学生たちの論文を、こき下ろしたり、解釈を加えたり、解説したり、そして、秀逸な六編を収録したという異色の本である。おもしろい。こきおろす場合の学生の名前はイニシャルなのだが、セックスワークについての論文の学生名もイニシャルだ。

今年は「経験学習のよりよい質をめざす」ということを「質的研究」の重要さが定量的な研究と対比されて語られるようになっている風潮にのっかって、テーマにしようと思った。自分たち自身をフィールドとすること。「フィールドワーカーというのは自国文化と調査地の両方においてストレンジャーとなる」(『フィールドワーク増訂版』佐藤郁哉、46) 「つなぐ」人の役割はそういうところにあるのだろう。

この本で面白かったのは「ある現実の男女の会話を、役者に演じてもらう」という調査をした例だ。一分ほどでしかないその会話を、演じると、どのように演じても1分半から2分の長さになってしまうという。96
「移行適切場」の流動性
「ターン交替の自由度
などの用語が会話分析理論から使われ、解説されているのだが、その中で、あらためてわかったのは、役者は結末を知っているということだ。「知っている」ことをどのように「からだ」は処理するのか。そう考えると、もっと現実の中でこそ、わくわくしていいはずだよなと。すごいスリリングな一瞬一瞬を人は生きているのだと、思う。うーーーーん。

と、そうしたところに、銭湯の研究が、人がいかに「場所取り」などの行動において保守的であるかを洗い出してくれる。やっぱり、あんまり、ショックは好きじゃないんだな。

そして、最後に、最大の研究協力者の突然の死によって、研究者として、職業人としての姿勢に喝を入れられたとふりかえる論文がある。

言ってしまえば、教師も「結末を知っている」人だ。この本は、そうではなかったのだと、改めて知った大学教員が編んだものなのだ。

二カ所だけ引用しておく。

「たとえ良きインタビューを果たし得たとしても、ナマのデータを読者に「丸投げ」することは許されない。・・・彼女はフィールドワークの生命線を手放してしまった。その生命線とは「取捨選択」をする決断力である。膨大な記録のなかに埋もれている感動を、みずからの直観とセンスを総動員して切り出さねばならなかった。決断を伴わないやみくもな労働は、かえって知の怠惰を呼びよせる。「くそまじめな精神」から抜け出してはじめて、フィールドワークの産物は読者とのコミュニケーションの回路を流れはじめるのである。」160

「権力
・・・その子が自閉症という障害をもっていることがわかる。・・・父たるあなたは自分が愛してきた女を猜疑と冷淡さのいりまじった目で見るようになる。家庭という間身体性の場に<権力>が侵入し、世界と人間に対するあなたの解釈を方向づけるのである。
表象の脈網
・・・「学者」とは、表象を組織的に生産し、脈網をますます稠密に張りめぐらすという意味で、権力をふるう存在である。」312

知の作業が、他者とともに生きるためのものでなければ、それはなんとつまらないことであろうか。

関連図書
フィールドワーク増訂版 佐藤郁哉 1992、2006
222-3(1082)はじめての質的研究法 臨床・社会編

追加110429
もしも、みんながブッシュマンだったら、菅原和孝、福音館、1999

グイの人たちは、たとえそれが自分の子どもであっても、何かを無理強いすることを、ひどく嫌うのだ。92
by eric-blog | 2008-04-08 17:27 | ■週5プロジェクト08
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