220-3(1072) 水になった村、大西暢夫、情報センター出版局、2007
徳山村には驚かされる。子どもの頃、「日本一のダム」ができるニュースで出会い、増山たづさんの写真展で出会い、そして昨年の映画とこの本だ。不死鳥なのか、この村は?とっくの昔に水没したのではないのか?
著者は中学生のときに岐阜で徳山村の報道映画に出会い、東京の映像学校を出て、徳山村に通い始める。
そして15年。通い始めて5年ほどで「僕の宝物の村」という本を出し、写真展を開催する。
2006年、ダムがせき止められ、水が村を浸して行った。満々と水を湛えたダム湖にボートを出したとき、そこに流れがあることに気付いたという逸話が紹介されている。
確かに、人間が築いてきた環境、環境を活かして築いてきた人間の生活の「徳山バージョン」は、ダム湖に沈んだ。しかし、自然は全く無力になったわけではない。
失われ、脅かされているのは、人間の生なのだ。
年々歳歳、あの山、この沢、この谷筋に、変わりなく訪れる自然の恵みを知り尽くし、それを活用するからだとリズムを持つ人々。
移転した先から村に帰って住んでいたのは「生産年齢」を過ぎた世代ばかりだが、時に山菜、時にトチの実、時に狩りに村に帰るのは、様々な年齢層だ。
そんな生活や知恵が失われているのは日本に限らない。世界でも進む変化のパターンだ。
同時に読んでいたのが、「わらび座修学旅行」。1977年、わらび座会館完成をきっかけに始まった、わらび座をたずねての「ソーラン節」と「農作業」の修学旅行。中学生たちはソーラン節を通じて漁師の、農作業を通して農村の、生活、そして人間に触れて行く。
「あなたの子どもに自然が足りない」が指摘するように、自然に触れることは、贅沢なレジャーではなく、必須の栄養素なのだ。
人間の進化の歴史を跡付けるかのような個個の成長。
いまや、都市人口が8割にも上る。「帰省ラッシュ」がなくなるとき、都市と農山村は、本当に新たな関係を作り出せる気がしている。いや、作り出さざるを得なくなっているだろう。
生活がなくなる前に、交流のさまざまな形と実践を広げたいものだ。