202-4(980)状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加
ジーン・レイヴ、エティエンヌ・ウェンガー、産業図書、1993
Institute for Research on Learning、カリフォルニア、の同僚たちの共同研究。
Situated learning状況における学習というのは、より包括的な概念であるが、Legitimate Peripheral Participation正統的周辺参加というのは、例えば徒弟制度のように、その状況の中で、「学習者が熟練者の実践活動に参加はするものの、それはごく限られたレベルであり、しかも最終的な産物に対してはごく限られた責任しかおわないという独自の関与のあり方」7
「学習を必須の構成要素とする社会的実践へのかかわりを記述する手段として」のLPP 9
そして、学習が起こるのは実践共同体community of practiceにおいてなのであると。
産婆、仕立て屋、操舵手、肉屋、断酒中のアルコール依存症者
の例が紹介され、LPPの特徴が検討される。
共同体の成員性の初期形態。95
知識技能だけでなく、動機付けとアイデンティティの獲得がある。
周辺的参加に対して、十全的参加者の特徴も記されている。97
・より多くの時間をさくこと
・労力を一層そそぐこと
・共同体内でより大きな、より広い責任を持つこと
・より困難な、危険を伴う作業に就くこと
・熟練した実践者としてのアイデンティティの実感が増大していくこと
そして、増大する参加の過程によって十全的参加へと移動していく。
理解と経験は絶えざる相互作用のうちにあるということであり、相互構成的である。28
教授と学習という簡単な二元論では、習熟ははかれない。
学習が実践を包括するのか、実践が学習を包括するのかの議論があると、学習研究所の論点が垣間見えるのもおもしろい。
理論的専門家は大変だ。実践者はやってみせるだけだけどね。
教育実習についてのメールを読みながら、「教員」には成員性の初期形態がだんだんなくなってきていて、きついものがあるなと最近思っていたことを思い出した。そのようなものがなくなっていると、指摘があると、システムとして「取り出し研修」が増えるだけという、実践共同体力の低下も問題だし。
なんとかならんのか、教員研修。最悪だぜ、いま。