人気ブログランキング | 話題のタグを見る

雑穀を旅する スローフードの原点

198-4(961)雑穀を旅する スローフードの原点
増田昭子、吉川弘文館、2007

沖縄竹富町黒島の家にはつぎのような標語が貼ってあるという。

まごわやさしい

バランスの取れた食事をとねがって校長先生が広めたという。

まめ、ごま、わかめ、やさい、さかな、しいたけ、いもの頭文字だ。

これを読んだ時、「まごこわやさしい」にした方が、沖縄らしいのではないかと思った。「こんぶ」だ。

1998年から病院食に五穀ご飯を取り入れている杏雲堂病院。米、粟、稗、黍に白ゴマ黒ゴマだ。

雑穀食は農山漁村の常食であった。著者がその跡を尋ねていった先は、沖縄竹富島、石垣島、東京都檜原村、岩手県遠野市、山梨県小菅村、丹波山村、早川町奈良田

それらの地域における雑穀の季節季節の食い分け、耕作地の使いまわし、加工食品などを見ると、まさしくその地域独自の雑穀文化であり、生活だったのだということができる。
長い時間をかけて試されてきたのであろうが、その土地のそうでなければならない生活として、耕作サイクルがあり、食べ方があり、加工作業があり、販売があったのだということが知れる。

都会には「地域の生活文化」など、風土に根ざした必然のものはない。

巣鴨地蔵どおりのサイクルは縁日のサイクルであり、六本木のサイクルは目新しい巨大商業施設が作り出すサイクルである。

北川フラムの40年をまとめた『希望の美術・協働の夢』(角川書店2005)に、北川さんは「都会と地方の新しいつながり」が求められなければならない時代なのだという。そして、「家業を継ぐとか、先祖代々の田畑を耕すとかでもなく、親に寄り添い妻子と生活し近隣の社会で人間らしく生きてきたわけではない私が」8美術を語るのは空々しいと恥じながら、新潟のまちおこしに取り組む。その、大地の祭り、越後妻有アートトリエンナーレの試みの中で、保守的だと言われる農山村の人とアーティストたちの交流が成立していくのは、「アートが肉体労働」であるからだ。26「芸術」というものであるか何かは別にして、何かをともに「作業する」こと、そして、それがとてつもなくばかばかしくても、何かが作り上げられることに、妻有の農の人々は面白さを感じ、協働してくれたのだという。
都市を捨てることは、わたしにはできないだろう。都市で雑穀文化的な生活文化を創ることは幻想だ。都会に出た人々がその生活文化を支えてきた土地、家族、共同体、と同じ価値観を保持することはありえないだろう。

互いが批判しあうのではなく、互いがあることの豊かさを楽しみながら、協働する。

都会からの協働は自由の風、アート、ゆとり、余暇、有り余る資金、そして何よりも評価なのではないだろうか。他を、多くを知るがゆえの評価。

雑穀文化を含め、風土の担い手は減る一方だろう。風の人との協働の要になる土の人たらんことは、一代のことではないものなのだろうから。

米食志向は身分的上昇志向と結びついていたのだと。15

すでに「都会」が上昇志向の象徴であった時代はすぎた。「都会」という風土の作り方を模索しなければならない時にあるのに、ノスタルジーなのか、都会を耕す思想が、見えてこない。それは都会に生きる人づくりのことであるはずなのに。

都会に生きるひとの肉体労働とは何か。それはコズメティックな美しさ以外の美しさを持てるのか。
by eric-blog | 2007-09-25 09:49 | ■週5プロジェクト07
<< 環境デザインの試行 創造的な食育ワークショップ >>