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白い黒人

190-2(913)白い黒人
ネラ・ラーセン 春風社2006
「クィア」な感覚を描き出した作品として再評価された1929年出版のもの。1920年代のハーレムルネッサンスと呼ばれた時代とはどんな時代だったのだろうか。そしてそれはどのように位置づけられるのだろうか。
たった三冊の本を出して断筆した作者にも魅かれるがそれはまた別の話。
原題である「Passing」とはみかけは白い黒人が白人として生きていくこと。「装う」「見せかける」「通す」などのこと。
このブログでも「大統領の秘密の娘」などにとりあげられたテーマだ。
黒人の系類を断つことの意味のさまざまはそこにも書いた。しかし、この作品を読んで胸に迫ることは、Passingを迫る社会や関係とはどういう社会であり関係であるかということの方なのだ。

二人の女性はそれぞれに「クィア」、違和感を感じている。

・なぜ黒人であることは安心できないのか。
・なぜ子どものために、自分の求めるものをあきらめなければならないのか。
・なぜ安定を捨ててどこかに行こうとするのか。
・なぜヨーロッパでは人種は問題にならないのに、アメリカにとどまり続けるのか。
・友情と人種への忠誠はどちらが大事なのか。
・友人と夫との不倫と友情のどちらが問題なのか
・なぜ南部白人の茶器を、ニューヨークで成功している黒人の自分が使っているのか
・なぜ子どもたちを「テロ」の話題を避けて育てることに夫は反対するのか
・なぜ子どもたちに「セックス」にかかわることをまだ話して欲しくないということを夫は理解してくれないのか。
・子どもの一人が「パッシング」できないくらいの肌色であることで、こんなに苦しむのはなぜか。

これらの「なぜ」が違和感を引き起こし続けるのだ。
いまだに女性はPassingしているのではないか。
だからこそ時代のおかしさも浮かび上がらせつつ、いま読んでも共感できる作品なのだろう。
by eric-blog | 2007-07-11 14:33 | ■週5プロジェクト07
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