人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ら抜きの殺意

165-3(781) ら抜きの殺意
永井 愛、光文社文庫、2000

いやあ、すでに有名なのだと思うのだけれど、昨年末、生台本で戯曲を読んでから、「言葉」関係の本に出会い続けている。紹介する予定にはしておらず、軽く読むだけのつもりだったのですが。作者も言うように、「まともな文章は書けないが、「話し言葉ならなんとかなるじゃん」と気楽に劇作家になってしまった私。今、その威力を前に、改めて「お見それしやした」である。」
・話し言葉には、日本社会のこれまでの有り様が正直に刻印されている。
・話し言葉は、個人のこれまでの有り様も正直に刻印しているし、これからの有り様さえも左右する。
・その言葉をつかい続けるということは、その言葉が孕む構造を受け入れ続けるということである。
(前書きより)

1997年に書かれた喜劇。中学校の国語教員が、バイト先(やっちゃいけないんだけど、隠して)の若い人たちが「ら抜き言葉」で会話するのにいらだち、それを指摘し、人間関係が険悪になっていく。「出れる」「見れる」「来れる」など。

それを柱に、コギャル語、間違い敬語・過剰敬語、感覚的な単語の羅列、そして、ジェンダーや役割による言葉の使い分けなどが、からんで話は進む。
結婚当初は「女らしかったのに」と嘆息されている中年女性は、さまざまに役割で言葉を使い分け混乱している若い女性たちに、「女言葉で命令してみろ」と徴発する。「もう女言葉じゃ本音が出せん」ことに気づいた恋愛中の彼女は、新しいニュートラルな話し言葉に挑戦する。

地域のばあちゃんたちの「宿題したか」「めし、食え」などがジェンダー・ニュートラルであったのに、いったいいつからこれほど女と男の話し言葉はわかれたのか。話し言葉と格闘し続けてきた作家の真骨頂を、ぜひ、お楽しみください。て、独りで読むだけじゃなくて、どこかで上演しているのかなあ?

Amazing Songsともども、声に出して共有し続けていきたいものリストが、増えるね。
参加型のワークショップなどで、劇的手法や音楽などが使われるパターンがあるのも、よく理解できる。話し言葉で共有しあうことが、一人ひとりを個性的な存在にしていくんからなんだけど。

■ら抜きの傾向は室町時代の五段活用への変化から
https://president.jp/articles/-/67031?page=2

室町時代後期から始まる動詞の五段活用とそれにともなう助動詞「る・らる」の活用の変化(「ら抜き」への傾向)は、京、大坂、江戸などの都市部で拡大し、それが次第に地方に及んでいくことになります。

これが、一気に広がるのは大正時代から昭和初期です。川端康成の初期の作品『浅草紅団』は昭和4(1929)年12月から東京朝日新聞夕刊に連載されたものですが、絶大な人気のあった、ちょっとした探偵小説です。

この中で、川端は「ら抜きことば」を連発します。もちろん、この後の川端のベストセラー『伊豆の踊子』『雪国』なども「ら抜きことば」でいっぱいです。おそらく、「ら抜きことば」を全国に蔓延させたのは川端の小説だったのではないかと思われます。


by eric-blog | 2007-01-16 09:03 | ■週5プロジェクト06
<< 言葉は社会を変えられる 見えない雲 >>