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無敵のハンディキャップ 障害者が「プロレスラー」になった日

165-1(779)無敵のハンディキャップ 障害者が「プロレスラー」になった日
北島行徳、文芸春秋、1997

「ボランティア界のヒットラー。そのラジカルなイデオロギーは愛を語るボランティアを死のガス室へと送り込む。今、恐怖政治の幕が開く。オレが福祉と言い切る男!  アンチテーゼ北島!!」

このリングアナウンサーのコールがすべてを語っている。

障害者と健常者は、同じ人間だ。
健常者社会で生きる不都合さに、健常者の側は気がつかないし、無関心、無理解、そして関係が日常のレベルで切り離されている。
効率優先の健常者社会では、肉体的にハンディがある障害者は不利。
障害者と健常者は、同じ人間だ。
しかし、「戦い」は対等ではない。

人生を「戦い」とみるのかどうかの人生観はさておくとして、進学、就職、結婚、出産、など、ライフステージの事ごとに、それを頭から否定されるか、最初から不利な条件で扱われるか、対等にやろうとすれば結果が不利に働くか。

なんてことない人生の階段でも、不利な条件にある側にとっては、ハードルであり、「挑戦する」立ち場になってしまうんだなあ。なんてことを改めて思います。それは、本当に、無数のことについて、そうなのだと思う。

知能検査が80以下なら障害、81なら健常。そこでの決断は、一生涯「障害」のレッテルを選ぶか否かなのだ。

「障害者を見せ物にしている」「障害者を食い物にしている」との批判を受けつつも、興行としての障害者プロレスは成功を収めていく。

女性ファンの歓声に酔うプロレスラーとしての自分と、月給9万円しか稼げない自分の落差も、「人並み」を目指す気持ちのある者としては、いっそう苦しい。

酒に溺れ、借金にまみれ、人からの賞賛と視線、おだてられがなければ、寂しくなってしまう心。あれっ、こんなのって、どっかで聞いたような・・・
ヒューマンストーリーは似ていても、「レッテル」が重くのしかかる。家族から、そして親類から、地域から。

ライブやドキュメンタリー映画の作成など、どんどん「障害者について思考停止状態になっている健常者」をゆさぶる激震は続く! 行け! アンチテーゼ北島! 気づきなさい! いまここで。





障害者年金ブルース

中指立てれば親父に蹴られた
なにがパンクだバカヤロ
誰のおかげの生活だ
年金もらっているんだろう
髪の毛染めればお袋が泣いた
何がパンクよ親不孝
反抗するんじゃありません
年金もらっているんだから
別に欲しくてただ金
オレはもらうわけじゃない
稼ぐ場所さえあれば
耳をそろえて叩き返す
障害者年金七万五千円
障害者年金なくなると困る
障害者年金お前らの税金
怒りあふれてもパンクになれない

死んだっていらねぇ
オレはパンクロッカーがぜ
そう叫べば本当に
明日からは生きていけない
障害者年金七万五千円
障害者年金なくなると困る
障害者年金お前らの税金
怒りあふれてもパンクになれない

同じく北島作詞の「柵を越えた羊」はさらにシュールだ。
「つめ隊」のCDか何かがまだどこかにあるのなら、聞いてみよう。その叫びを。

ペテルの家もそうだけど、人としてつながってしか生きていけない、その「個」の確かさに、嫉妬する。歯車になれるモノとしては、ね。歯車としての安心、とともにね。

1991年からの7年間の「暑い夏」。あれから、10年。いまどうしているのだろうか。
by eric-blog | 2007-01-14 11:56 | ■週5プロジェクト06
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