122-4(568) 弟を殺した彼と、僕。
原田正浩、ポプラ社、2004
被害ということに向き合う姿勢に松本サリン事件のとばっちりを受けた河野義行さんと同じものを感じる。しかし、原田さんの文章は、もっと感情、感覚にも踏み込んで書かれているために、読み進む内に、彼が弟を保険金詐欺で殺されてからの20年、どのように気持ちや考え方が変化したかに、素直に添っていける。
あ、そうなんだ、そんな風に考えてきたんだ。赦すわけではないが、犯人と実際に会うことで、手紙に書かれた謝罪のことば、赦しを願う日々についての記述が、どのようにその人の中に積み上がっているか、確認することができる。そんな実感を一つずつ、原田さんも積み上げて、弟の死の後を生きてきたんだ。
死刑が確定してからの2回も含め、原田さんが犯人と面会したのは4回。会うということがどういうことなのか、がつかめないまま、なじることもできず、ののしることもなく、当たり障りのない日常会話のような、初対面同士が相手に配慮しながら気まずく会話する。あ、この人も人間なんだなあ、という確認から入るものなのか。自分の中の強い感情を文章の中では吐露しながらも、表現をどうするのがよいか、相手との関係ではかってしまう。
その社会人感覚の徹底に、河野さんの徹底さとの同質さを感じるのかもしれない。
死刑確定後の面会では、犯人の変化を確実にその姿に読み取り、死刑囚を支える人々との交流、それに促されての悔悟の意味を考えるに至る。
自分の変化、犯人の変化の共有の中でしか、自分が体験したことの重さを昇華していけない。
人間の生において、死というのは、重いものなのだと、改めて思う。
57人の死刑囚 角川文庫 大塚 公子
は、2001年の時点での確定死刑囚一人ひとりについてのファイルだ。
そこにはこの犯人もまだ、含まれていた。
一億二千万人のそれぞれの人生の物語を平均値で語ることはできないが、不条理な死は、少ないとわたしには思える。そんな数少ない体験を共有すること、そしてそれを自分の人生と自分がかかわる社会のよりよい有り様につなげて考えること。子どもたちや次の世代と共に考えていくこと。
ライフストーリーインタビュー through 自伝的語り
は可能だ。原田さんをそのようなストーリーテラーにしているものは何なんだろう。もちろん、会って話しを聞けば、また別のものが浮かんでくるのだろうけれどね。