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空間の日本文化

121-7(563) 空間の日本文化
オギュスタン・ベルク、ちくま学芸文庫、1994、筑摩書房1985


文庫版解説で隈研吾さんが指摘しているように、この本は日本人による日本文化論を網羅しながらも、それらをあくまでも分析的に再整理している。328
そしてまた、諸社会化学の統合を意図した書物でもある。
隈は前書きを引用しつつ、「「それぞれの社会は、その文化特有の総合秩序によって空間を組織し、独自の空間性をもつ。この空間性はいかに多面的であっても、統一性をもっている。一つの文化の中では、精神的空間組織(例えば自我と環境との関係)と、社会的空間組織(例えば集団と集団との関係)と、物理的空間組織(例えば都市と農村の関係)との間に、その文化特有の関連体系が存在しているはずである。」ここで彼がいう精神的空間組織とは心理学、精神分析、あるいは現語学の考察の対象となってきた事象であり、一方、社会的空間組織とは社会学、あるいは文化人類学の対象となってきた事象であ。そして物理的空間組織とは建築学、あるいは都市工学、社会工学の対象となってきた事象である。彼はそれらの諸領域でばらばらに論じられてきた諸事象を空間性という概念を媒介とすることで、統合しようと試みるのである。」329

そしてまた隈は磯崎新の都市空間議論の4段階、実態論、機能論、構造論、象徴論を紹介しつつ、実体が領域と記号に切断されていくこと、そしてベルクがその切断を統合しようとしたのだという。

空間を領域としてではなく主体と客体の関係性ととらえ、主体が客体に対して自らを定義する方法によって、空間の質が決定されるととらえることによって、領域と記号とが統合されたと。333

以下、本文よりの抜き書き。
・「初めに言葉があった」や「我思う、故に我あり」...は、構造的に日本人の中からは生まれ得なかったのではないか。48
・文化的に決定的重要性を持つ事実は、人間によるはいが全体として、土地改良の可能性を極限にまでおし進めず、そのこちら側で止まっているということだ。135
・方式(進行)がいつも内容(出発地点から目標値点への移動)に優る。「日本のミチは、目的よりもプロセスをたいせつにする面がかなりある」吉村元男、空間の生態学、1976
・公は私の中にある。土壌における公私の不可分性。256
・隣人が良心をとりしきる263

まだ、ベルクが理解できたとは思わないが、とりあえず、今回の探究はこの程度で。
by eric-blog | 2006-02-10 12:41 | ■週5プロジェクト05
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