「支配しない男」になる 別姓結婚・育児・DV被害者支援を通して
沼崎一郎、ぷねうま舎、2019
3377冊目
著者は言う。日本国憲法が国際紛争の解決手段として戦争、武力による威嚇または行使を放棄すると宣言しているのであれば、ましてや家庭内の問題解決にDV、暴力を使うことなどあってはならないはずだと。220
そして、暴力の目的は「支配コントロール」であると言うこと、暴力は力であること。力を自分より「弱い」存在に対して使うこと。
DV加害者も外では「立場が弱い」ので暴力を「選べない」。しかし、家庭内では妻子より強い立場であるので「暴力を選ぶ」ことができる。211
第一に体格
第二に経済
第三に口達者
第四にマインドコントロールが巧み
第五に男性中心社会と性別役割分業規範が、家庭内での男性優位を文化的にも保証してしまう。「男の特権」を当然視する加害者の傾向が強い。212
DV加害者は変わらない。
彼らは「選んでいる」。
甘えることを選んでいる。
制縛圏における「甘え」のポリティックスも、加害者が「被支配者の甘え」を許すことで、「支配者の甘え」を受け入れさせている。166
彼らはそれが自分にとって有利だから、選んでいるのだから、変わらない。
EMERGEと言うボストンのDV加害者再教育団体での研修会の体験から、著者自身もそれまで自分が「選んでいた」ことに気づいたと、序でいう。
別に男性が子育てや家事を積極的に担うようになれば、少子化が治る訳ではないと、著者は指摘する。
すでに家族は労働者の再生産にとって不可欠ではない。結婚しない男性が増えているのはそのためだ。子どもの養育が消費行動になりつつある。
男性が子育てや家事を免除されていたのは「仕事人間」と言う労働強化と引き換えだ。その既得権を労働時間の短縮なしで放棄させることは難しい。146
育児の経済的コストを下げる政策が必要。
文化的に男の支配を許容している限り、DVはなくならない。と言うことだね。