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隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民

上橋菜穂子、筑摩書房、2000

3314冊目


この本を出版した時は、すでに『精霊の守り人』『闇の守り人』を出してファンタジー作家という評価を得て居たのではないだろうか?

わたしが読んだことがあるのは『鹿の王』。ものすごいストーリーテラーだなあと思った。


その人が文化人類学の本? と、タイトルからして軽い、「お隣さん」についての体験の文化人類学的考察かと手に取った。今はちくま文庫にも入っているようだ。


文化人類学とは何か、そして、アボリジニについて研究するとは、どういうことか、彼らを傷つける質問をしてしまうのではないかという恐れ、などなど、1990年、小学校のボランティア教師という立場で接近を試み始めて、足掛け9年、実質3年ほどの滞在を通じて観察したこと、調査したことが書かれている。


カルチャー・ショックそのものが文化人類学の手法である。


しかし、その表面的に見えていることは過去の歴史がある。歴史が語られるのは第3章である。


1830年代に西オーストラリアへの探検と植民地が進む。狩猟採集民であったアボリジニ(と言っても単一の部族ではなく、400以上の異なる言語を話す人々によって構成されていた)の土地を白人が放牧地として囲い込み、土地を奪われた彼らがその場に居続けるために「牧童」などの職を得て白人社会で働き出す第1期。比較的、自由に色々な職業についていった。


事態が変わったのは1901年。オーストラリア政府が成立、原住民法が各州で制定され始める。これらの法律によって、「原住民」は「市民」と異なる扱いを受けることになる。116


居住地への強制移動、強制立ち退きが可能になり、白人との隔離が始まる。結婚、旅行も自由にできなくなり、ホテルは立ち入り禁止。そして、子どもの親権が取り上げられ、親から強制隔離されていく。118


1944年、アボリジニに「市民権」を与える法律ができるが、「市民」となるためには二年以上、親族部族との関係を断ち切っていることが条件とされた。119


1967年、アボリジニを国民として数えないという憲法の条項が国民投票で廃止が決定され、1972年に原住民福祉法が廃止された。自動的に平等な市民になった。120


アボリジニを衣食だけで働かせてきた牧場主たちは彼らを解雇せざるを得なかった。賃金など到底払えなかったからだ。市民となって得られる権利としての失業手当で生きるようになったと同時に牧場の中にある聖地へのアクセスを断たれたために伝統文化の継承も難しくなった。


先住権原を認める「マボ判決」も出される。1998年までに請求することで、自分たちの土地を返還させることができるようになった。122


いま、オーストラリアでは「おれたちのご先祖様は彼らにひどいことをした。でも、おれたちはまだ生まれて居なかった。どうしておれたちが責任を取らされる? ・・・いつまで「むかしの差別」で奴らから恨まれなきゃならない? アボリジニの若い奴らは、いい加減に被害者意識から抜け出せってんだよ」という若者がいる。


上橋さんは、「アボリジニの暮らしには、社会への不適応を促す問題の根底となっているものが、独特な生活文化が確かにある」と認める。しかもそれが外部から「異文化」としては見えにくく、内側からも「これが私たちの文化なのだ」とは誇れない状態。白人を向いても、伝統集団を向いても、どこかからの目がきになる。190


同郷・同族の関係性で複雑に張り巡らされた「アボリジニの世間」。

百人や二百人の親族と系図くらいは誰でもが書けてしまう世間。


奥地に追いやられることもなく、絶滅するわけでもなく、白人社会に馴染むのでもなく、隣にいる人たち。


ローズマリおばさんはいう。「私たちは部族の生き方には戻れない。・・・私がキリスト教の「法」ほ拒んでしまったら、どの道へも行けなくなってしまうだろう?」と。自分が信じるものを信じればいい。53

















by eric-blog | 2019-05-17 12:54 | □週5プロジェクト2019
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