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福音の実り 互いに大切にしあうこと 本田哲郎対談集

福音の実り 互いに大切にしあうこと 本田哲郎対談集

誉田哲郎、浜矩子、宮台真司、山口里子、M.マタタ、オリエンス宗教研究所、2016

3303冊目


わたしなど、様々な社会運動の中核にクリスチャンがいるなあと思っているのに、本田さんは「政治家や文化人などを見渡していると、ロクでもない人に限ってクリスチャン」54と見えているのだそうだ。


その中にあって、ポーンと出てきた浜矩子さん。アベノミクス批判の鋭さ、政治は再分配にこそ意味があるのだという提言など。すっきり! なのだそうだ。


山口里子さんはフェミニスト神学研究者。このところのERICでの共通語、「かわいそう」の真相に連なるような「憐れむ」ではなく、共感共苦なのだという。

「さん」づけ宣言も好きだ。108


本田さん自身はキリスト教ではなく、「福音」を伝えることが大事だという。宗教の色分けや、宗教がすでに抱えているものから「福音」そのものを切り離す試みだ。


『釜ヶ崎と福音  神は貧しく小さくされた者と共に』、岩波書店、2006


どの宗教に属したからと言って、福音を生きることができるのかと、この本では問う。


富と権力の恩恵を受けている人たちが、自分から進んでその座を降りることは、あまり期待できません。社会の仕組みとしてその座が位置付けられているため、自分たちの目には当たり前なこと、自然なことにしか映らないからです。抑圧され、貧しく小さくされている人たちの側から見ることができるようになって初めて、それが正義と公平に反することであったと気づくのです。

ですから、貧しく小さくされた人たちは彼らときちんと対決することによって、その座が不正な者であることを指摘し、彼らに分からせるようにはたらきかけることが親切なのです。189


座そのものをなくしてしまうためです。(イザヤ586節参照)189


座とそれを支える仕組みを壊す闘いに参加すること。190


自分が持っているものを捨てるのではなく、持っているものを有効に活用して、彼らの願いの実現に協力することです。 (マタイ1921節他)


真の連隊への四つのステップ

1. 痛みの教官から救援活動へ

2. 救援活動の行き詰まりから構造悪の認識へ

3. 社会的・政治的行動へ

4. 単純な「弱者賛美」から真の連帯へ


ここでも「あわれみ」について次のように言います。

こちら側の優位性、安全性が前提になっている。しばしば軽蔑の思いが潜んでいる。

聖書では「はらわたを突き動かされて」と表現されているらしい。196


貧しく、小さくされてきたイエスだからこそ、「痛切に感じるままに、同じように辛い思いをしている人たちに支えられながら、思うことを堂々と口にしていく。そういうイエスは、社会の大勢を占める、きちんと律法を守り、そこそこ豊かな生活をしている人たちから見れば、実に鬱陶しい限りの存在です。131

・・・そして呪われた犯罪者として十字架の上で殺されていく。


神は決して高みから見ているのではない。

「弱いものを塵の中から起こして、乏しいものを芥の中から高く上げる」(詩篇1137) 133


本田さんは言う。「貧しくなんかないクリスチャンたちが、なんでわたしも貧しい者の一人です、小さき者ですと言いたがるのでしょうか?」と。60


キリスト教という宗教が絡め取ってしまった、体質化してしまっているものを、本田さんは、糾弾する。イエスがファリサイ派を糾弾したように。既存の宗教や律法を糾弾したように。そして、福音を、と主張する。


この人の翻訳した聖書を読みたい。



by eric-blog | 2019-04-27 10:53 | □週5プロジェクト2019
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