介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析
平山亮、勁草書房、2017
2794冊目
著者を個人的に知らないし、ネットでチェックもしていない、東京都健康長寿医療センター研究所がどんなところかも知らない。が、かなり変な人らしい。外れている「男性」として、男性学に疑問を持ち、「男性が履かせてもらっている下駄の自覚」と「男性の大変さ」の両方を提示することはできないかという試み。
第二章 息子によるケア
息子によるケアの特徴(マシューズ)
1. 求め応じてサポートを提供しようとする
2. 連携プレーが少ない
3. 親の自立を目指して介護する。
「お膳立て」という感覚的労働、マネジメントは誰がしているか。
「どうすれば男たちは、弱きものを弱きもののまま尊重することができるのか」という課題。
第5章 「老母に手を上げてしまう息子」
男性は、感情に支配されやすいので、(起こってしまった感情に対してコントロールできない)、逆に感情的にならないようにする。
感情自体に対しては受け身。
「完璧な息子」による介護に対して母親は「諦め」ている。
「女性の仕事」を積極的にになうことが、ケアされる相手に絶大な支配権をもつ。207
ケア役割を担っていた側からケアされる側になる落差が母親にはある。209
被介護者からの暴力を自分で抑えられると思うのも男性に多い。結果、けがさせられる。「手に負えない」と認められない。
自立し自律した男性というのは公的領域における男性同士の社会関係においてのみ。
私的なものへの依存を不可欠なものとしながら、同時にそれを「なかったことにする」、という欺瞞的な操作によって男性性は完成する。223
母親の私的領域による役割に依存していたために、それが欠如した混乱やままならなさに突き動かされてい、母親を攻撃してしまう息子。223
男性は家庭においては社会関係を調整してもらわなければならない受動的な存在。224
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自立のねじれというのはおもしろいなあ。しかし、そんなにも「枠」というのは逃れ難いものなのか。