性と柔 女子柔道史から問う
溝口紀子、河出ブックス、2013
3258冊目
柔道と言えば、今年の大河ドラマ「いだてん」にも出てくる嘉納治五郎が創設した講道館柔道を「正史」とする。が、それ以外がなかった訳でもなかった。
正史批判の視点は、寒川1984『論説柔道』が以下のようにまとめている。
1. 偽作、錯誤の有無を検討する
2. 史料が作られた時・場所、人間関係などの来歴批判
3. 複数の史料の間の引用借用関係を吟味する本原性批判
4. 陳述的史料の内容が、作者や話者の錯誤や虚偽などによって真実が損なわれていないか、過信性批判
なぜ講道館柔道の歴史は神話化される必要があったのか。28
1895年に設立された大日本武徳会は、後期になって、神かがり的な国粋主義に絡め取られ、・・・皇道教育・戦時協力に急傾斜していく。41
1931年には思想善導の手段に用いようと武道は中学校の必修科目に制定された。
1936年には柔道場に神棚を置くようと文部大臣が答申。42
1946年11月、武徳会は「解散団体」に指定される。46
公職追放者は1300名を数え、武徳殿、文献、刀剣類はGHQに接収された。
もう一つの高専柔道は、木村雅彦が「柔道の最盛期は高専柔道にはじまり高専柔道の消滅とともに終わった」と言わしめるほど。増田、2011
海外においても組討競技は存在し、柔道は技術においても類似している。
・フリースタイルレスリング
・グレコローマンスタイルレスリング
・サンボ
・柔術・柔道
・民族型レスリング
一方で、柔道が軍事教練などの素地にもなっており、「必勝信念を得せしむるを目的とする」男子学徒の白兵戦技の一科となった。88
そのために、「必勝信念の獲得の手段」として暴力やシゴキといった軍人の慣行を保ってきた。88
柔道と暴力
著者自身が柔道界における体罰について警鐘を鳴らしたのは2011年のこと。レキップマガジンに論文を投稿。
2010年に、「柔道事故被害者の会」が発足。
著者は論文で、柔道事故の原因を三つ指摘している。
・加速損傷による
・全国に統一された指導方針がない。
・体罰による行き過ぎた指導による
試合規定は存在するのに指導基準がない。
試合ばかりが優先される。
受け身を教えているつもりで「投げられる」恐怖心を植え付けている。112
著者はホイジンガの「スポーツは遊びの領域を去っていく」という警告を引用して、次のように述べている。
勝利至上主義を脱却し、「遊び」の柔道の社会的価値が涵養された時、日本柔道には別の進展が見られるかもしれない。112
「遊びの領域から去ってしまった20世紀のスポーツに、文化形成能力・教育可能性を求めることがいかに矛盾するかが殆ど考えられてこなかった」山本徳郎、2013、『教育現場での柔道死を考える 「子供が死ぬ学校」でいいのか!?』
嘉納は女子が男子と試合することを禁じていた。また、昇段もなかった。
柔道は男のもの。パイオニアの女性たちは大抵最初は入門を断られ、何の配慮もない道場で、「男の子と同じに扱う」という条件で初めている。156
1974年、オセアニア女子柔道選手権、1975年ヨーロッバ女子柔道選手権など、世界選手権の機は熟していた。158
1992年バルセロナ五輪から正式種目に。170
2012年、五輪強化選手らによる暴力告発。
勝利至上主義で歪んでしまった男のムラ社会に風穴をあけることが、女性にできるのではないだろうか(200)、と著者は望みをつなぐ。
規範、遊び、社交としての柔道。