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ぼくはアメリカを学んだ

ぼくはアメリカを学んだ

鎌田遵、岩波ジュニア新書、2007

3252冊目


1991年、高校卒業後の19歳、アメリカへ渡る。それ以前に中国や中東などの貧乏旅行をしていた。


ワシントン州につき、語学学校に入学するも、日本人ばかりで一向に英語も向上しない。ニューメキシコ州へ。そこでプエブロ族やラティーノのコミュニティ、エスパニョーラで暮らす。


そこで見たアメリカ社会の辺境。外では差別を受ける人々が自分たちのコミュニティで生きている。その混沌と強さに驚かされる。「差別されるということは、やられたらやられっぱなし」ということ。法律も、何も助けてくれない。


ニューメキシコ大学への入学を志願しても、「高校の時の成績が悪いから」と受け入れてくれない。


1994年、カリフォルニア大学バークレイ校に、これまでのアメリカでの体験と、構造的な差別のない、平和に生きる社会を作りたいという思いを書いて、願書を出す。大学は「アメリカに来てからのあなたの経験を評価する」と言って、入学を許可。


成績が振るわず「強制退学」というような危機も乗り越えて、アメリカ先住民学を学び続ける。一度、帰国するも、馴染めず、学び続けるために、大学院へ進学。


先住民の居留地に核施設を受け入れるユタ州のコミュニティを博士課程でのテーマに選ぶ。同じテーマを選んでいた日本人女性と出会い、結婚。


『ネイティブ・アメリカン』『「辺境」の誇り』など著書多数。


アメリカの辺境での体験ではあるが、彼が今あるのはバークレー校やニューメキシコの短大などの「単線」ではない高等教育システムのおかげであることを考えると、まだまだ懐が深いなあ。日本にいただけなら、確実に「落ちこぼれ」「大学なんか無理」のヒトだったんだから。そして、どんな環境にあっても、「勉強」を続けたことがすごい。

by eric-blog | 2018-12-31 17:45 | □週5プロジェクト2018
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