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検証 金属バット殺人事件 うちのお父さんは優しい

検証 金属バット殺人事件 うちのお父さんは優しい

鳥越俊太郎、後藤和夫、明窓出版、2000

3247冊目


あとがきに鳥越俊太郎さんが言う。「取材していたある時点から私の問題意識は・・・なぜ、この子は、これほどまでの家庭内暴力を起こすに至ったのだろうか?・・・に移行した。」


全く同じ読後感だ。裁判の中では、究明されるどころか言及すらない。199611月、14歳の政彦くんは、自宅の自室で寝ている時に、父親に撲殺された。1982年生まれか。生きていれば彼自身も親になっていたかもしれない年齢だ。


裁判で姉は言う。14年間の間にはいいこと、楽しいことの方が多かったのだと。殺される前の2年間で、弟を語ることはできない、と。


見たい番組の録画を親に頼む。できていないと暴力を振るう。

買ってきてほしい服やX-Japanのグッズを頼む。期待と違っていると暴力を振るう。

食べ物に難癖をつける。母親を殴る。父親を蹴る。

暴力によって支配される「ピリピリと気を使う」状況が続く。


きっと、政彦くんの14年間も、どこか「ピリピリ」と緊張していたのではないか。最後の2年間はその反動だったのではないかと思えてならない。


真面目な父親。クリニックで「受け止めること」「暴力を止めない」などと指導されるとそのままに実践する。息子に「かばうな」と言われると殴られても庇わず、抵抗もしない。


暴力はエスカレートする。しかし、暴力の後は、「お父さん、チャーハン作ってよ」と、いつもの家族に戻ったりする。


そんな「物分かりの良い」「優しい」父親に対して、父親としての厳しさがないとかの批判も向けられたようだ。父親を支援する会がすぐに結成されたが、父親は、減刑などを望まず、罪を償いたいと言う。


文京区湯島の住宅街で起こった事件。事件が起こるまで、学校も地域も、家庭内暴力に気づいていなかったと言うのも、不気味だ。かろうじて、遊びに来た友人が、政彦くんの親に対する横柄な口利きに驚いたと言うことがあるだけだ。


死んでしまった政彦くんの思いを知ることも、暴力の後の人生を生き直すチャンスも叶わないことだ。


この本は、テレビ朝日『ザ・スクープ』で番組を作ったディレクターと鳥越さんの取材によるものだ。父親は学生運動世代。東大紛争を経験していると言う。戦後民主主義の体現者ではあったが、息子が抱えている課題を共に考える、ともに悩み、迷う道は取らなかった。取れなかったのか。後藤さんは、それを「マニュアル人間」と呼ぶ。



by eric-blog | 2018-12-19 16:04 | □週5プロジェクト2018
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