日本の難題をかたづけよう 経済、政治、教育、社会保障、エネルギー

日本の難題をかたづけよう 経済、政治、教育、社会保障、エネルギー

安田洋祐、菅原琢、井出草平、大野更紗、古谷翔太、荻上チキ、光文社、2012

3199冊目


荻上チキさん、大野更紗さんらが編集企画に関わっている「シノドスセミナー」。これまでも多くの本を編んできている。『日本を変える「知」』『経済成長ってなんで必要なんだろう?』『日本思想という病』『もうダマされないための「科学」講義』


新しく生まれた難題を解決するためには、新しい道具が必要となる。


なぜ、新しい問題は生まれ続けるのだろうか? 昨日、早稲田大学のホームカミングどんちゃん騒ぎで湧き返るキャンパスを横目に、三時間に及ぶ松波めぐみさんのトークを聴きながら考えていた。そして、1970年代、いや青鞜の時代も入れれば、1910年代から問題提起されてきた女性問題、フェミニズムを「若い世代に伝えなければ」という問題意識で始まった「ふぇみゼミ」で語られる複合差別、交差性を孕んだ語り、当事者研究に活気を与えている障害者の運動。


いま、手話通訳者養成講座に通っていても、障害者の人々の「活気」は感じる事ができる。それは、松波さんが指摘するように、障害者権利条約が国連で採択され(2006/2008)、それに伴い国内法が整備され、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(いわゆる「障害者差別解消法」)(平成252013年、平成282016年施行)により「合理的配慮」など、社会の側が配慮する必要がある事が確認されてきています。千葉県が2006年に条例づくりに取り組み、そして、松波さんが関わった「京都」の条例(2014)には「女性」についての言及があった。

そして、誰しも、「法律ができただけではダメ、法律は使うもの」だと理解している。法律があれば社会が変わるわけではない。

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/law/anti/index.html


さて、もう一度戻る。問題は新しいのか? 新しい問題がどんどん出てくるのか?


その問題提起のあり方そのものに「学問」「学者」「研究」「研究者」の匂いがする。ぶるるるる。だって、大野更紗さんなんて大学院に行っていた人が、自分が研究対象になってしまっただけじゃないか? 新しい道具なのか、彼女のアプローチが? 挫折と苦労はハンパないと思いますが。


どの生き方を批判しているのでもない。「語り」の力。


正解をチャッチャッと書いているのではない。とまえがきに断りがある。


3章「社会学は役に立つのか」は、ひきこもりの問題について、大学が対策を取ることの経済効果も示している。


大野さんの原稿は、第5章「社会モデル」へのパラダイムシフトをまなざす。

2008年自己免疫疾患系難病発症。

2000年代の怒涛の制度改編期。改めて、まとめておく。

2000年 社会福祉法 高齢者福祉、介護保険制度スタート

2003 障害者支援費制度、→障害者自立支援法へ2006


1981年国連、国際障害者年、WHOによる「障害」の定義。ICIDH国際障害分類。

・機能・形態障害=Impairments

・能力障害=Disabilities

・社会的不利=Handicaps

これら三つのレベルの複合的実態が「障害」である。270


という捉え方が「社会モデル」。


難病というのは難治性疾患、治療法が確立されておらず、「寛解」「増悪」の揺らぎの中にある。271


したがって、従来の対感染症における治療医学のように医療は機能しない。

しかし、「治らない」ことを前提にしながらも、生命維持のための医療行為を必要とすることも事実。

「医学モデル」の理解から「社会モデル」へと理解が変わるということは、支援体制や支援方法にも変化が必要だということだ。


しかしながら、国際的に見て特殊だと言える「日本型手帳制度」では、「医師の診断書」中心のアセスメントになっている。医師、SW、行政など複数の担当者による権限「分散型」のアセスメントは、権力関係にバランスをもたらす。273


障害施策の「民主化」。


ICFモデル。国際生活機能分類(2001)

身体・活動・参加による健康状態を支える環境因子と個人因子を考えるモデル。275


「私の生活」についての専門家はいない。QOLの最良の選択肢をもたらす決定権は、誰も持っていない。その人の自己決定を100パーセント実現することは無理だとしても、しかし、できる限り実現できるように不断の努力を行う。276


言論の側、言論される側。

チーム社会支援、支援する側、される側。


とする限り力の対称性は解消しない。という気持ちは晴れないなあ。何を問題にしたいのかなあ、私は。


当事者よりも「言論する側」「支援する側」の力が強くて、結果、当事者の自己決定やQOLそのものが削がれる気がするのだ。微妙な入れ子関係ではあるけれどね。



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by eric-blog | 2018-10-22 12:32 | □週5プロジェクト2018 | Comments(0)
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