私が誰かわかりますか
谷川直子、朝日新聞出版、2018
3196冊目
認知症になってしまった高齢者を誰が見るか。連れか、子どもたちか、長男の嫁か。
この物語は長男と再婚して、結果舅を看取らざるを得ない立場に追い込まれていく「嫁」を中核に、おなじような立場の女性たちの姿が連鎖的に描かれていく。
「嫁」とは人の目であり、判断であり、役割期待であり、自認であり、引き受けである。
本家の嫁とか、連れ合いとか、特定の人の目もあるが、ないと言えばない。
そして、そこに働くのは「値踏み」だ。どれだけ医療費をかけるか、どれだけ老人ホームなどにかけるか。そこでも「嫁」の働きは安くネブマれる。「嫁」の働きを助けるためのヘルパーに支払う金は「贅沢」と判断されるのだ。
そこに描かれるとても不思議な世界。「世間」を構成するものが何かが描かれているというべきか。
東京新聞 2018年10月17日
孤独死した女性が「高校教員」であったというのも、『私が誰かわかりますか』に出てくる元校長男性と重なる。高等教育を受けるということはローカルと切り離されるということ。