教誨師
堀川恵子、講談社、2014
3194冊目
日本全国で1800人の教誨師がいるという。先日の児童相談所職員2800人と比べてめちゃくちゃショックを受けた。各宗教、各宗派の人々がボランティアで登録し、かつ、活動しているのだという。
この本が取り上げているのは浄土真宗、親鸞聖人の教えで死刑囚を導いた教誨師、二代の物語だ。広島出身で寺の次男坊。東京に出て来て三田の寺のあとをついでいた渡邊普相。そして彼を導いた篠田龍雄。二人は東京拘置所の教誨師として活躍した。出会った時、渡邊は27歳、篠田61歳。次世代への引き継ぎの意味も込めて、渡邊を紹介したのだろう。
この本は、渡邊へのインタビューをもとに、取材されている。2010年、死後4年ののちにのみ公表可能という条件で、しかも何十年もの経験の中から1970年代頃、初期の頃の経験に限って語った内容だ。
教誨師の誨は戒めではない。そばにあって語り合うこと。
篠田が繰り返し言ったことだが、渡邊は「母に捨てられた」と恨んでいる横田の心を軽くしたいと願う。自分の性のゆえに何人も殺めてしまった自覚の先はと思う。
死刑囚という存在は人を見極めるという。その人たちと心が通った、救いがあったと思えば喜び、茶飲話だけでは満足できない。
田中伊三次法務大臣は、死刑問題についての議論を活発にしようとした。同時に23人もの死刑執行書に署名。
https://ja.wikipedia.org/wiki/田中伊三次#死刑制度に対する姿勢
その時、渡邊が面会した山浦は「いくら死刑囚だって、虫けらを殺すんじゃあるまいに」と話しかけて来た。軽い気持ちで返した渡邊の言葉に山浦は席を立ち、二度とどの教誨師とも面接することはなかった。
その頃は、残された家族と最後に会うことが許されていた。最後まで来てくれなかった母を恨みながら死刑になった彼を、変えることはできなかった。
など。
渡邊さんの社会活動への想いは、広島原爆被爆体験と、戦後の売春婦救済活動への傾倒があったようだ。
大杉蓮さんの遺作が今公開されている。アル中の部分と山浦(仮名)のエピソードの描き方をみたいと思う。
http://kyoukaishi-movie.com
20代の僧侶を描くには、大杉さんでは、年取りすぎていると思うげとね。
https://ericweblog.exblog.jp/238727559/