核兵器はなくせる
川崎晢、岩波ジュニア新書、2018
3188冊目
今年のノーベル平和賞はムクウェゲ医師や戦時性暴力の被害者救済に捧げられた。ICANが受賞したのは昨年のことである。
International Campaign to Abolish Nuclear Weapons
世界468の団体が加盟している国際的なネットワークだ。
2017年7月、国際連合で「核兵器禁止条約」が成立。その成立にICANが大きな役割を果たし、それに対してノーヘル平和賞を受賞。
1982年、中学二年生だった川崎さんをお父さんは広島に連れて行きます。そのことがその後の活動につながったのかもしれません。
学生時代から平和運動、路上生活者支援などの活動に関わるうちに、「ピースデポ」の立ち上げに出会う。1998年。
2003年からはピースボート。そこで2008年から始めた「おりづるプロジェクト」。世界各地で被爆者の証言会を実施。30
被曝からすでに60年以上が経過していたが、それでも証言は新鮮な驚きをもって受け入れられたという。
2017年末までにピースボートで10回、延べ170人以上の被爆者の方達の証言を届けた。
今も、16万人の被爆者がいる。39
私たちは被爆者の証言を聞ける最後の世代なのだ。
第二章は「核問題とは何か」
第3章「世界が動いた」
ノーベル賞授賞式でスピーチをしたベアトリス・フィンさんは、WILPFの職員でもあったのだ! 知らなんだなあ。88
2010年、ピースボートはICANに参加、川崎さんが副代表に。2011年からはノルウェー政府の支援を得て、専属スタッフを雇うことができるようになった。
2014年に改組。10団体から一人ずつで構成される国際運営委員が毎月ネット会議で方針を決定し、事務局が実践する形に。べアトリスさんが事務局長に。89
2010年に赤十字国際委員会が核兵器の非人道性を認める声明を出したことも大きかった。以来ICRCは積極的に発言を繰り返した。「核が使われたら救援に行けない」95
http://jp.icrc.org/2015/04/27/icrc-10/
2009年に誕生したオバマ大統領の声明も大きな役割を果たした。97
そして誰よりも「被爆者は専門家」であるのです。(2018年1月に来日したベアトリスさんの発言より、107)彼らの証言を届けることが、もっとも大きな原動力になった。
2014年にメキシコで行われた核兵器の非人道性についての国際会議。空気を変えた。109
2015年、条約づくりがスタート。
そして、第4章はQ&Aスタイルで「今の日本が立っているところ」
第5章、一人一人が声を上げ続ける意味。
年表もコンパクト。よくまとまっているなあ。