判決、二つの希望
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原題は「侮辱」。まさに映画の内容がそうである。
レバノン軍団という極右愛国排斥主義的政党を支持する主人公トニー。お金を貯めてベイルートに家を買った。その家、というか集合住宅は、不法建築の部分があり、修繕するための業者が作業をしている。
トニーの部屋のベランダからの排水口は通りに直接流れ落ちるので、作業中の現場監督に水がかかってしまう。監督は家を訪ねて、ベランダを見せて欲しいというが断られる。仕方なく無断のまま、排水用樋を設置する。怒ったトニーはその樋をハンマーで壊す。その理不尽な態度をみて現場監督のヤーセルは「クズ野郎」と罵る。
謝罪を求めるトニー。謝罪に訪れた時、かかっていたテレビはレバノン軍団党首の排斥的演説のシーン。パレスチナ難民であるヤーセルは、謝罪の気持ちが失せて、返ってトニーを殴って肋骨を折る怪我をさせてしまう。
それが訴訟になり、訴訟に絡んでレバノン人とパレスチナ人の間に対立が広がっていく。法廷で暴かれるヤーセルの過去。そしてトニーの傷。
ヤーセル1955年生まれ、トニー1970年生まれ。
二人には難民問題、PLO、イスラエルが影を落とす。
1970年のヨルダン内戦でレバノンに逃れて来たパレスチナ難民。その時難民に食事を出していて乱闘にまきこまれ車椅子生活を送っている男性。殴ったのは若い時のヤーセルだった。
1975年のPLOとファランヘ党の事件、「ブラックマンデー」で内戦状態になったトニーの故郷ダマール、海岸沿いの避暑地、バナナの産地はどちら側のともわからない民兵に襲撃され、命からがら教会に逃げ込み、九死に一生を得た家族だ。6歳だったトニーの記憶。
その後、家族はベイルートに移り、トニーは以来ダマールを訪れたこともない。
裁判が始まり、これらの物語が次々に明らかにされていく。「痛みのない人はいない」
レバノンはキリスト教徒が多かった国だったが、これらの内戦を受けて、宗派別の住み分けが進んだという。
映画の描き方がうまいのは、主人公二人が政争の具になりながらも、「殴ったのは俺だ」「いや、謝罪が欲しいだけだ」と周りの思惑に取り込まれない心情の片鱗を見せるところだ。ヤーセルの車のエンジンを直すトニー、気がつくとベランダの排水口に樋がつけられているなど。悪態をつきながらも「これでおあいこだな」と殴られるヤーセル。
問題となったトニーの「侮辱」とは「シャロンに殺されていればな」というもの。
レバノンの歴史的な背景を知らなくても、この映画が楽しめるのはそんなところだ。
いい映画だった。