二宮金次郎とはなんだったのか 臣民の手本から民主主義者へ

二宮金次郎とはなんだったのか 臣民の手本から民主主義者へ

小澤祥司、西日本出版社、2018

3181冊目


1787年天明7年、第11代将軍徳川家斉になった年、金次郎は酒匂川中流の栢山という村に生まれた。


赤貧から一家を立て直した金次郎。181226歳の時に服部家に若党として奉公を始める。金次郎にあったのは「農民」の才能ではなく、「起業家」であった。14


仕法と呼ぶ再建策は、「分度」を立て、決まった範囲で生活を営ませる「倹」、余剰を人に融通する「譲」。勤倹譲が基本であった。43


その教えは遠州、小田原、相馬に広がった。


その中に、遠州掛川で報徳の教えを伝える大日本報徳社の設立に関わったのが岡田良一郎。その長男の岡田良平が文部省で、折しも教科書疑獄から国定教科書が作られるようになった時に、重用されていた。147


1896年。金次郎はとっくになくなっている。


そんなきっかけで、文部省と金次郎がであっタァ。


教育勅語を普及する観点から『報徳記』は高く評価され、子ども時代の金次郎のエピソードが修身教科書に載せられることになった。157



つくられたヒーロー


戦後は、民主主義の実践者として、評価される。


まるで事業仕分けの権化のような人が、なんで国のヒーローになっちゃうんだろうねぇ。巡り合わせだけのことなのかなあ。


今また尊徳が国に都合よく使われるようになるのではないかと、著者は危惧する。

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by eric-blog | 2018-09-07 11:12 | □週5プロジェクト2018 | Comments(0)
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