「逃げるな、火を消せ!」戦時下トンデモ「防空法」

「逃げるな、火を消せ!」戦時下トンデモ「防空法」

大前治、合同出版、2016

3175冊目


『検証 防空法』などの著書がある大阪の弁護士の方。同窓の人がしっかりとこういう社会性の高い問題にとりくんていると、なんか嬉しい。15歳も違うけど。


当時のチラシや出版物、ポスター、など、写真資料が多数乗せられており、臨場感がある。


焼夷弾(アーサー・ビナードさんの指摘に寄れば、「ナパーム弾」も同じもの)をわずかな防火水槽の水とバケツリレーで消せると思わせたり、消火活動がまず大事と逃げることを禁じたり。その非科学的なこと、人命軽視の姿勢は凄まじい。


まさしく、トンデモだ。


そして、粗末な防空壕で、焼死するなど。馬鹿馬鹿しいとわかっていても、馬鹿馬鹿しいと言えないことが一番怖い。それは現在の「北朝鮮からのミサイル攻撃に対する避難訓練」を拒否できない学校の姿勢にも通じる。


現場では「お上」に従う人々と、その必要性や効果に疑問を持つ人々の間に緊張感があったことだろう。少なくとも、私がその学校現場にいたら、内心穏やかではいられない。


これらの体制は昭和16年ごろから立て続けに形作られる。


昭和1611月の防空法の改正により「逃げずに火を消せ」が罰則を伴う法的義務に。127日、真珠湾攻撃の前日には「退去禁止」を出した。62


一億防空の義務 という表現が踊る。はあああ?


イギリスもナチスの猛攻に対抗し続けたわけだが、チャーチルの演説など、勇猛果敢に立ち向かったイメージがあるが、実相は『猫の帰還』にあるようなことなのだろう。

https://ericweblog.exblog.jp/237529059/


日本の場合は、こちらから侵略戦争を仕掛けている側だから、反撃があるのは当たり前、かなあ。歴史は勝者によって書かれる、とも考えられるが、アジアに対する日本の侵略は歴史的事実だ。


結果、押し戻されての被「空襲」体験となるわけだが、そのような状態で「防空」して戦い続けることの意味がわからない。いつの間に、イギリスと同じく防衛戦争みたいになっているのだろうか?


本土を賭して戦ったものはなんなのだろう?

佐藤賢了陸軍省軍務課長「戦争は意志と意志の争いである。たとえ領土の大半を敵に委しても、あくまで戦争を継続する意志を挫折せしめなければ、このものは結局において勝つのである。」68


昭和15年情報局設置。


きっと、ここ出身の人たちが電通とか作ったんだろうなあ。

ナベツネとかね。


「国権の発動としての戦争」がいかに危ういものであるか。国権の目的のためであれば、領土も人命も顧みられることはないのだから。


日本全国の主要都市が晒された空襲によって、多くの社寺仏閣、古来からの建物が失われた。そこは、石造りのイギリスなどと異なるのかもしれないなあ。


戦後、というのは、建物という観点からも、随分「風通し」が良くなったところから再建されたんだなあ。あまり、イメージできない。それまでの町並みは、もっと「江戸」時代のものを残したものだったのだろうか?



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by eric-blog | 2018-08-30 13:05 | □週5プロジェクト2018 | Comments(0)
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