忘却か記憶か。

I-House Lecture
犠牲者意識のナショナリズムか、記憶のための連帯か:東アジアの歴史和解

  • 講師:林 志弦(西江大学校 教授)
  • ディスカッサント:トルステン・ヴェーバー(ドイツ日本研究所 シニアリサーチフェロー)
  • モデレーター:足羽 與志子(一橋大学 教授)
  • 日時:73日(火) 700830 pm (開場 6:30 pm


http://www.i-house.or.jp/programs/activities/lunchtimelecture/


英語はこちら

Victimhood Nationalism versus Mnemonic Solidarity:
History Reconciliation in East Asia

http://www.i-house.or.jp/eng/programs/activities/lunchtimelecture/


一時間のレクチャーの後、コメンテーターからの問題提起、そしてフロアーから質問を受け付け、最後にもう一度、まとめて林教授が答えるという形で進められた。


コメンテーターのヴェーバーさんが「忘却」について、Aleida Assmanのことを紹介してもらった。著書も多数あるそうだが、ドイツ語で、だそうだ。

http://www.memorystudies-frankfurt.com/events/aleida-assmann-forms-of-forgetting/


以下は挨拶はドイツ語だが、レクチャーそのものは英語。

Forms of Forgetting

https://electure-ms.studiumdigitale.uni-frankfurt.de/vod/clips/xkAbEqaHKV/flash.html


強く印象付けられたことは、歴史和解の可能性について、悲観的であるというフロアからの意見に対して、林教授が、楽観的に取り組むことがインテリの責任だと考えると、アントニオ・グラムシを引用して答えたことだ。


日本社会は歴史意識が希薄だと常々思っていたが、インテリの悲観主義、あるいはクリティカル思考についての偉大な誤解としての「批判」の姿勢もまた、歴史意識の欠如につながるのだということを理解した。


犠牲者の数で競い合うようなことは無意味だとも。


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by eric-blog | 2018-07-04 09:53 | ◇ブログ&プロフィール | Comments(0)
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