日本の分断 切り離される非大卒若者たち

日本の分断 切り離される非大卒若者たち

吉川徹、光文社新書、2018

3123冊目



学歴と格差・不平等:成熟する日本型学歴社会 2006

において、日本型学歴社会の到来を予言し、そして、いま、学歴の再生産が実際に起こっていること、高等教育への進学率は高くならず、大学卒と非大卒が世代を超えて受け継がれていることをデータが示していることを断言しています。


つまり、非大卒の親の子どもは非大卒になる。それが経済格差につながり、経済格差が学歴格差につながる。


その傾向が繰り返される定常状態に入ったと。大学の学歴を持つか持たないか。95


紹介されている古市憲寿さんの『絶望の国の幸福な若者たち』はまだ読んでいないが、なるほどなと言う感じ。日本社会は閉塞的な状況であるのに、若者はそこそこ幸せなのだと言うこと。


しかし、古市さんが指摘するように分断が継続するとなったらどうだろうか?


この前のNHKテレビ「江戸時代の経済成長」で、江戸の商人たちが再分配のための試みを行っていたことを指摘していた。


再分配が合理的なものであり、決して「慈善」や「同情」ではないことを、社会が了解する必要がある。


古市さんは「たすき掛け」の相互理解と協力を説く。


1974年と聞いてわたしが思い出すのは、「欠席率」が一番低かったということ。ERICで高校生対象のプログラムを提供していたとき、欠席がコンスタントに1/3いることに衝撃を受けた。その衝撃の理由が、わたしが高校卒業するまでは、欠席率はどんどん下がる傾向にあったこと、それまでの「欠席」はイコール「貧困」だったこと。欠席率の低下は社会の貧困からの脱出を意味していたことだったことです。


この本によれば、1974年は高校進学率が90%を超えて、ほぼ全入になった頃のこと。なるほど。


1945年から30年。一世代で起こった変化。そこからどのような未来を構想するか、考える必要すらあったのかもしれない。


1974年。そして2004年。2034年。と考えると30年というのは結構長いんだなあと思う。


分断社会といまを呼ぶのは

境界がはっきりしていること。成員が固定化していること、集団間に交流関係がないこと、分配が不均等であること。の四つです。219


境界がはっきりしていることを、この前の第5章で、著者は8つのセクターについて検討しています。


ポジティブ感情

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不安定性
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社会活動の積極性
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政治的積極性
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教養・アカデミズム
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健康志向
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これを見てわたし壮年大卒男性の保守的傾向に驚いたけれど、著者は「政策的支援が少なく、声もあげない若年非大卒男性」と指摘します。216


彼らのカテゴリーを著者はLEGs Lightly Educated Guys。と名付けて見ています。222


現役世代の11.2%、国民全体の5%程度。


そして、彼らの職業選択のためには高学歴という「重い」ものは不要で、それがなくても充実した人生を送ることができる社会を作るべきなのだと主張します。225


1995年に比較して、彼らの平均年収が下がってきていることが課題。


しかも若年女性に対する支援のような視点は彼らには向けられていないのが問題。「モノを作らなくなった日本社会が、そのための「メンバー」として育成したレッグスを、モテ余し気味だ」236


レッグスの日本社会にとっての大切さを著者は「日本の宝」と言います。242


・地方を支えているのは壮年非大卒

・現役世代の成人力は高い

・その人たちが非大卒でありながらも、社会の半分を支えている


そのためには、彼らを見据えた施策の構想が必要だと。


いいじゃないか、学歴がなくてもつける職業に就く人たちは、それで。でも彼らのやりがいや福利厚生は保証されなければ、社会が続かない。






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by eric-blog | 2018-06-19 10:04 | □週5プロジェクト2018 | Comments(0)
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