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ザ・サークル

ザ・サークル

デイヴ・エガーズ、早川書房、2014、原著2013

2776冊目


『王様のためのホログラム』と言う映画を見たことがある。その原作者がエガーズだったとは、意識していなかった。ドバイの砂漠のど真ん中に新たに建設されようとしている巨大近代都市。その建設の責任者である王族とアポを取り、プレゼンし、自社の作品を売り込むのが仕事の主人公。娘のための学費やらなんやら、中年男が抱える家族の課題をわんさと抱えている。そして、近代的な都市の建設は前近代的な技術不足やら人材不足やら、手違いやらで、何一つまともにすすんでいかない。


そんな話だ。


そして、この本を読んで『トゥルーマン・ショー』と言う本を思い出した。ある男性の人生が実は生まれた時からずっと放送されていて、彼の人生に関わってきた人々は、父親も含めて全員役者だったという物語。


ザ・サークルはインターネットで様々なサービスを提供する会社である。スタイリッシュなオフィスに働いている人々は1万人以上。テニスコートや食堂などの福利厚生施設も充実している。徹夜組のための宿泊施設も完備。人も羨む労働環境の会社である。


会社を辞めたメイは、大学の先輩で、この会社の「フォーティ」に入っているアニーの誘いで就職が決まったラッキーガール。仕事は新人が任されるカスタマー・エクスペリエンス、顧客サービスの部門での電話での問い合わせ対応だ。


対応の良し悪しは顧客から100点満点で評価される。メイは最初の週に97点という平均点をあげる。


週末を両親の家で過ごした彼女に上司からの呼び出しが!


実は、働くだけでなく、プライベートの充実も重視されていて、二日に一回はパーティがどこかであり、講演会や学習会、趣味のサークル活動なども活発だ。


メイは、ある会のディナーに誘われていたのに、出席しなかったために、招待を送った主催者が働き方に問題があるのではないかとクレームを出してきたというのだ。そして、その会へなぜ誘われたかというと、高校時代のあることがきっかけ。


つまり、すべてのネットにアップされている情報は、簡単に検索され、新人に対して様々なお誘いがそれらのプロフィール情報から押し寄せるということ。仕事以外のこれらのネット上の情報や誘いのメールなどにもしっかり目を通しておかないと、非協力的、コミュニケーションに課題を抱えている人と判断されてしまうというわけだ。


この会社に是が非でも止まりたいメイは、仕事でもプライベートでも最善を尽くす。


ある時、金曜日の午後に実家から緊急連絡が入る。何度も電話があったのに気づいていなかったのだ。2時間のドライブで実家に着いてみると事態はすでに収拾され、父親は自宅のベッドに寝かされていた。


難病にかかっている父親に、今かけている保険では対応が限られる。どうしたらいいのか、悩みながら週明けに出社すると・・・上司からの呼び出しが・・・。


金曜日の夜のパーティ、週末のアクティビティに参加しなかった理由を聞かれて、正直に話すと、「そのような活動をしていたのに、写真の一枚も取っていないし、ネットのどこにもあげていない」ことについて、指導を受ける。


が一方で会社が父親の保険をカバーしてくれ、また、難病支援のための仲間の会を立ち上げることを提案。実家に12箇所のカメラをつけて、いつでも両親の様子が見えるようにしてくれるという。


それらをネットにアップすることで、同じ病気を持っている人にとっても有用な情報が得られるし、勇気付けられる。オープン。情報の共有。


・オープンにすることが犯罪を減らす

・見られているという意識が人をより良い行動へと向かわせる

・情報を共有することですべての人がより良い知識や知恵を得ることができる。



メイにはマーサーという元カレがいる。マーサーは、このような完全情報共有社会の考えには反対だ。その全体主義的な危うさを憂えているのだ。


しかし、会社は政治家も取り込んで、すべての人のすべての情報の可視化プロジェトを進める。メイがその実験台一号になるのだが・・・


ネット社会の様々な問題が詰まっている。そして結末は衝撃だ。


マイナンバーは、経済について「閉じたサークル」を作りたいという日本政府の試みだ。


もう一つ、この本を紹介する前に見ておきたかった映画があった。『トトと二人の姉』だ。6年間、母親がヤクの販売の罪で、刑務所に入れられている姉妹弟。家には母親の弟やその知り合い達がたむろし、ヤクを打っている。姉も薬物使用の疑いで警察へ。しかし、証拠不十分で釈放。妹は弟と二人、孤児院に行くことにする。


トゥルーマン・ショーを見る人やこの映画を見る人は、何を見ているのだろうか。

トゥルーマンショー

ドキュメンタリー

完全情報開示社会

子供の時からの成長を見てきた。

成長に関わってくる人々や出来事には作為があった。

娯楽として放送されているので、テレビを娯楽としてどれだけの時間視聴するかは娯楽にかけたい時間次第。

ずっと一方的に見られている問題は、「見知らぬ人」に声をかけせれる。自分の情報がどう使われるかわからない。



でも、私たちの情報はすでに使われいてるよね。マーケティングやビッグデータとして。

監督、映像作家というフィルターを通して見ている。

「やらせ」問題などもある。

社会問題を扱うことが多い。

いま、人が「見るべき、知るべき」こととして編集されている。

時間はせいぜい2時間ぐらいまで。

映画は娯楽ジャンルとして確立しているので、価格もかける時間もルールがある。

人気作は、大衆的圧力として、それで食べている監督の次回作などに影響するだろう。

売れない作家は淘汰されて行く。

「売れる」ものが生き残る。

商業映画と違い、ドキュメンタリーは、テーマ・コミュニティが「売る」側になることがある。


野生生物写真家もここに入れるか?

彼らからしたらプライバシーの侵害だが、肖像権すら守られず、何の見返りもないなあ。

メイは、一秒置いてから話す癖がついた。その間に自分にチェックを入れている。「こんな表現でいいのだろうか」「わかりやすいか」など。

インタラクティブなので、「どれだけの人が見ているか」=一般の人の関心の程度がすぐわかる。

コメントなどで未来を左右することができる。

自分もカメラの側になれる。

すべてがオープンなので「プライバシー」や「個人情報」の考え方は日常生活についてはなくなる。とすると資産や経済についてもなくなるのでは?

何をどれだけ見るかは、ウォッチャー次第。

盛り上げはコントロールできない。大衆的圧力が存在する。

淘汰という概念はなくなる。

人の人生を「編集」したりすることも許されるようになるのか?

あれ?すでにそういうのあったような。誰だっけ?構成作家、のような・・・

自然や動物写真家なんてのは、どこにハマるのか。


そして、それはメイのすべてを見ているウォッチャーとどう違うのか。

しかも、メイのにはコメント入れたり、インタラクティブだ。


ドキュメンタリー映画というメディアは不要になるのか?


人の人生の物語を視聴するのに、人はどの程度時間を割けるものだろうか。


一人の人に3秒かけるだけで、世界の人と挨拶するのには660年かかるという。一睡もせずにだ。


わたしたちは、何に時間をかけるのか、問われているのだなと思う。


いつも思うことだが、専門家というのは「偏り」だ。今時は、「飲兵衛」でもその偏りが強く、また文章、絵、物語などの表現の質が伴えば、職業になる時代だ。飲むのが仕事byラズウェル。


パンが大好きで、「パンの本」などはまだレアだとして、釣りが好きでなんていう人は五万といる。いや、ブログのジャンルで言えば、パン好きだって成立している。


どの趣味のサークルに入り、どんな時間を過ごすのか?


そんなことを考えていると、いまの学校教育は「偏り」を持った人以外の凡人にとって必要なものを何も教えてくれていないのではないかと危機感すら覚える。


この小説に書かれていることはすでに起こっていることだ。


教育は、子どもたちを現実の世界に生きるように準備するためのものだ。そして、現実に適応するだけでなく、より良い世界へと導く力をつけるためのものだ。準備は十分だと言えるのだろうか?



by eric-blog | 2017-05-01 20:17 | □週5プロジェクト17
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