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しあわせになるための「福島差別」論

しあわせになるための「福島差別」論

池田香代子、清水修二、開沼博、野口邦和、児玉一八、松本春野、安斎育郎、小波秀雄、一ノ瀬正樹、早野龍五、大森真、番場さち子、越智小枝、前田正治、かもがわ出版、2018

3052冊目


福島の「ふしあわせ」は福島を「ふしあわせ」であるべきだとする差別的言説にもよっている。この本のタイトルは、その差別をどうすれば払拭できるか、差別の根源は何かを考えるための論考を集めたものとして、つけている。


一読して、どの著者がどの部分を書いているか、わかりにくい本である。

前書きあるいは巻末の著者紹介に、分担が書いてあるか、章立てに書かれているかがよくあるパターンだと思うのだが、節の最後に( )で、あるいは章の中扉に、あるいは章立てに記されているという三種類の書き方になっている。


この著者はどんなことを書いているんだろうか? と思って探すことは難しい。


岡山大学の津田さんの疫学的論考についての反論は児玉一八さん。そして、その批判は国連科学委員会2013年報告に対する異議とは認められていないことによってもサポートされる。その報告の結論は福島とチェルノブィリを比較して、福島ではチェルノブィリほどの甲状腺癌は起こらないだろうというもの。198


多発性ではなく、多発見性であり、どこまで検診を実施し、不安に駆られた親が不必要かもしれない手術を受けさせてしまうリスクの大きさも指摘されている。201


なぜ不安に駆られて不要な手術までも受けてしまうことになるのか、それが福島の「ふしあわせ」の構造なのだということなのだろう。


この本に論を寄せた人々は、どこかの段階で「御用学者」と呼ばれたり、脱原発、反原発の人々のエキセントリックな論、あるいは攻撃的な物言いを体験している。多分、その経験がこの本を編むことになった原動力なのだろう。


「かもがわ出版」というのも「あれ?」という意外さがあったかもしれない。

特にブックレットは先進的なものが出ていたように思う。


裏表紙にある「2015年夏に、フランスから福島にやってきた高校生の外部被曝」のグラフは、富岡駅でのみパリや福島より高いだけで、手荷物検査場やフランス大使館での検査の時の被曝よりはるかに低いことを見せている。(本文102)というのは、批判を受けるだろうなあ。

一つには福島の中でも、例えば富岡駅のように高いところもあるのに、福島市内を中心に移動している時の線量で「福島県」を代表させていること。郡山や二本松などでは一年1mSv以上の被曝もあり得ている。101


結果、いま内部被曝よりも外部被曝の問題のほうが大きい。そして、それらを合わせても、例えば「ふるさとを失う」ことのリスクと比べた場合、どうなのだという問題であることなど。


給食にしても全量検査を実施している。など。


福島の人々はふしあわせなのか。そして、この本に紹介されたような議論でしあわせになれるのか。そんなことを議論されてしまうことそのものが、苦しいことでもあるなと思った。


福島の人が被曝について無知であるなどとは思わない。しかし、この本で展開されている議論のすべてを大多数が理解できているとも思わない。そして、議論不可能性をつくりだしているのは脱原発の運動家たちやその影響下にある「世論」だけではないことへの視点があまりにも欠けていることに違和感が募る本である。



by eric-blog | 2018-03-15 17:59 | □週5プロジェクト17
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