1940年体制 さらば戦時経済 増補版
野口悠紀雄、東洋経済新報社、2010
単行本 1995年、新版2002年
3050冊目
1938年4月1日、国民総動員法成立。
その時をこそ、この本のタイトルにすべきではないかと指摘されるという。1940年が野口さん自身の誕生年であるという以外に大きな意味はないという。
官僚制度と金融制度が、日本では敗戦前後を通じて変わらなかったと、著者は言う。そして、問題なのは、その制度が市場経済を信じていないところだと。
そうなんだあ! それだけでもショックだ。市場経済で生きていると思っていた。
どゆこと?
1. 企業構造
日本型企業は「従業員の協同利益のための組織」になっている。1938年の国民総動員法によって配当が制限され、株主の権利が制約されたからだ。8
そうだったんだあ! なんでそんなことにしたのかなあ?
戦時期の賃金統制が、終身雇用制や年功序列賃金体系に、全国的に拡大した。8
オール月給化の実現。
なんかわかる気がする。
労使双方が参加して組織された企業ごとの「産業報国会」が企業別組合の原型。8
下請け制度も軍需産業の増産のための緊急措置として導入された。9
2. 金融システム
株式による資金調達という直接金融が、間接金融になった。
3. 官僚体制
第二次近衛内閣の「新経済体制」の下で「重要産業団体令」をもとに「統制会
」と呼ばれる業界団体が作られた。10
企業は利潤を追求するのではなく、国家目的のために生産性を上げるべきだ。という官僚の思想。財界に対する不信。10
4. 財政制度
1940年の税制改革で、世界で初めて給与所得の源泉徴収制度が導入された。(あれ、これはナチスドイツが最初だと思っていたが) 11
税財源が中央集中化され、それを特定補助金として地方に配るという仕組みが確立された。11
経済的・社会的弱者に対する保護制度が、社会政策的な観点から導入された。農業、農村対策がその典型である。1942年の「食糧管理法」は地主の地位を低下された。1941年の「借地法・借家法」は戦地に応集した留守家族が追い出されるのを防ぐという目的があった。12
地主がいない大衆社会を作った。経済成長や産業化が社会全体の目的とされたのはこれによるところが大きい。
大多数の世帯が不動産の所有者である状況を作り出し、政治的な保守性と現状維持指向の基本的な性格をした。12
社会保険制度の導入63
5. エネルギー政策
電力管理法、1938年
http://www.fepc.or.jp/enterprise/rekishi/taishou/
(1942年 配電統制令にもとづき9配電会社が発足(北海道、東北、北陸、関東、中部、関西、中国、四国、九州))
そんなこんなの体制が戦後も続いた。
「生産者優先主義」138
それが個人貯蓄率の高さにも現れている。
第11章は新版で付け加えられ、増補版でも書き換えられた章である。
「官僚制度と金融制度における1940年体制が大きく変わったにも関わらず、産業面では戦時経済型企業が強くなった。・・・低金利・円安政策が取られ、輸出志向の重厚長大産業が生き延びた体。」228
課題は産業構造の転換。
「改善されない生活関連社会資本」
「非人間的な混雑の通勤・通学、長時間長距離構造」
「サービス業などの分野での低生産性」「低生産部門での過剰雇用」
提言:
古いものを助けないこと。
鎖国から脱却すること。
明治150年の宣伝に惑わされて、過去を美化することはやめよう。それに便乗して「古いもの」をやたら守ろうとする動きにのっかることはないようにしたいね。