オリエント世界はなぜ崩壊したか 異形化する「イスラム」と忘れられた「共存」の叡智
宮田律、新潮社、2016
2756冊目
サイード『オリエンタリズム』新版序文
http://www.jca.apc.org/~nakanom/J/PrefaceToOrientalism.htm
エルサレムがそうであるように、アラブ世界は世界宗教の故郷であり、それらは共存していた。そして、オリエントはスペインなどの境界においてヨーロッパにも侵入していた。
ヨーロッパとオリエントの力関係が逆転するのは近代国家の成立、第一次世界大戦とともにある。
世界を分割したヨーロッパは、アラブ世界もまた分割した。
「寛容の文明」であったオリエントが、ヨーロッパのオリエンタリズムによって不寛容さを身にまとっていく。
オリエンタリズムの命名者であるエドワード・サイード自身がオリエンタリズムの体現者であったと著者は言う。202
ヨーロッパに発見された「オリエント」とは、欧米の優越性を保つよう、常に蔑みの対象となるように作りかえられてきた概念である。蔑むためには、オリエントに積み重ねられてきた人類の歴史と叡智は、厄介なものでしかなく、あらゆるものがうち捨てられてきた。欧米の学者たちのアラブ・イスラム地域に対する見方が虚偽とステレオタイプに満ちているのは、それが何よりも、ヨーロッパ、あるいは米国が推し進める植民地政策を、より好都合に進めるためであったからである。202
サイード自身が多数のアイデンティティを持つことを「足場の定まらない感覚」として厭うていた。204
完全なアイデンティティを絶望的に願望しながら、サイードはオリエントの寛容さに未来を見出していた。
対して欧米の啓蒙主義のあまりに矛盾した性格。207
ピアノ演奏によってもメッセージを送り続けたサイード。バレンボイムとの共演。
「歴史というものは人間が作るものであり、作らずに置くことも、書き直すことも可能だ」268
オリエント文明にあった「寛容」を今こそ思い出すべきであると、著者は繰り返し提案し、そのような過去があっことを知るべきだと、対立や排他の歴史にだけ焦点を当てることの愚かさを指摘している。