きょうだいリスク 無職の弟、非婚の姉の将来は誰がみる?
平山亮、古川雅子、朝日新書、2016
2870冊目
最初、この本を手に取った時、「きょうだい」というので、てっきり障害のある人たちの兄弟姉妹が抱えるリスクのことを書いているのかと思っていた。
ま、副題を見れば、それは勘違いであることは簡単にわかるのだけれど。
兄弟姉妹問題については、ラッキーなことに、今の連れは三人弟妹、わたしも三人姉弟という稀有な組み合わせ。連れはすでに介護も卒業、わたしの方には元気な自立生活者の母のみ。
唯一の心配は、「弟たちが中高年離婚されないか?」だけだ。
これについてわたしは、かなり前から本気で心配していて、母が義妹とソリが合わない時も、「離婚されませんように」とのみ祈っていた。その弟もそろそろ定年が迫っている。アーー、ドキドキする。
だって、嫌でしょ?
中高年男性はただでさえ、一般的に言えば、社会の不機嫌倍増装置、風景暗転化アンファッショナブル物体である。
そんな奴を引き受けたがる奴なんかいないよ。経済的依存を目論む奴以外は。
しかも、「引き受けないといけないかも」とその引き受ける内容から責任感までをリアルに想像するのは「女」ですよ。男はそんなこと、想像もしないに違いない。自分に降りかかるなんて思いもしないだろうし、自分がするとは思いつくことすらないだろう。
ああああああああ。
でも、わたしには優秀な姉がいる。彼女が何とかしてくれるに違いない。いや、しかし、その前に、一にも二にも、離婚されないこと!
一方で、わたしはフェミニストなので、いざ離婚となれば、実弟や義弟の側ではなく、義妹や義弟嫁の側に立つ。やればいいじゃん、不幸になる必要はないよ、と叫ぶようなフェミなのだ。
弟も義弟も経済的には何の問題もない。引きこもりでもない。しかし、この不安感は、いつからだろうか?
女が不幸にならないリスク回避の方法はあるのか?
この本を読んでわかったことは、わたしの不安などは何でもないくらいに、経済的にも社会的にも人間関係的にもリスキーなきょうだいがいるということ。
ひきこもりの成人した子どもについて、それは家族の責任なのか? とこれまでも思っていたけれど、この本を読んで、ますます、家族の責任だけにすることはできないと思った。
生活扶助義務が親ときょうだいまでのレベルに対してはあるらしい。
ま、「経済力のない姉」に不安を感じているのは弟たちの方かもね。
好き勝手に行きてきた姉の面倒を見ろって?
というような圧力が、個人個人の生き方を制約する。それが家族主義だ。
老後の不安に、こんな問題までもついて来るのか。大変だな、この国に生きるのは。
この年まで働いてきて、ランチに入った隣の席の若造に「禁煙でお願いできますか」と頼んだら、「働いているんで」と返されるようなくだらない社会である。お前の倍以上、働いてきたっちゅうんだ。こっちは。
日本のこどもの自己肯定感が低いという調査結果が出たら「グローバル人材育成のためにも対策を」と考えるような社会である。
北朝鮮が脅しにミサイル撃ったら、頭抱える訓練するような国である。
それに乗っかって、防衛省が予算要求を激増させるような国である。
惨事便乗型我田引水エリートたちが跋扈する国である。
さてもさても、破綻が透けて見える未来であるが、高校生たちは、明るいなあ。今日も。9月1日は、もう二学期の始まりじゃないのに、「自殺しないで」コールの喧しいのにも驚くが、学校行きたくなければ、逃げていいんだよ、って短絡的でびっくりする。根本的な教育問題を考えないのか?
どう見ても、この国、幸せじゃないだろう?
中途半端はやめて、いい加減、個人をベースに制度設計しようよ。