日本語は敬語があって主語がない 「地上の視点」の日本文化論
金谷武洋、光文社新書、2010
2738冊目
英語に主語が生まれたのも、そんなに昔ではない。
1066年、「ノルマンの征服」によって、3世紀の間、英語はフランス語にいじめ抜かれる。31
古英語に大量の仏語語彙が入り、男性女性名詞の区別がなくなり、格変化と動詞変化を失い、二人称の親称敬称の違いがなくなった。「行為文中心の主語言語」になった英語。33
英語は抜きん出て「である」状況ですら「する」で表現する。
そして、その主体は上空に不動の「神の視点」を持つに至った。
そのことを著者は『雪国』の翻訳で説明する。
The train came out of the tunnel into the snow country.
なんとも上から目線。状況を高みから見下ろす視点。
しかし、英仏独語のような文中に主語を置く言語は現在でも少なく、北欧語を含めて10を超えない。33
その視点からは「なぜ」が出にくい。
ビデオを撮りながら動く「地上の視点」。38
対話の場があり、話し手と同じ方向を見つめる聞き手がいる。
・行ってきます 行ってらっしゃい
・ただいま おかえり
・おはよう 「共感」二人とも早いね。共視的
・ありがとう 共感、共視
・はじめまして
・あいづち、うなずき
日本語の場合、目上に対しては「私」が弱者の立場にあり、その人との相対的関係性を強調することで身を守る。
名前で呼ぶということはその本人を「個人」として扱うこと。
あげる・くれる が日本語独特だというのは、孫が「くれてね」という表現を使っていたことで感じたことでもある。
両方とも敬語。giveに上下がある。
この著者が使う手の一つが「語源はローマ字で考えよう」ということ。
語幹が子音で終わるので、変化をローマ字で母音を付け加えることでわかりやすくなる。