相模原事件から一年、「当事者」はわたしたち自身である。嘆くのか、怒るのか、社会を変えるための行動を続けるのか?
事件後、改めて横山の本を読んだ。青い芝の会の怒りは、1980年代、強烈だった。
横山らも自覚していたように、障害者運動が功を奏して制度が整って来て「怒り」は理性的に、お上品になった。
横山らの強烈な怒りが突き動かすほどの力、驚愕が無くなった。
そして、「わたしたち」は知るのだ。
その怒りはわたしたちのものではなかったことを。
怒りの熱に共感しただけの怒りと、内発的に、主体的に怒りを、内臓感覚で怒れることは違う。
障害者運動だけの課題ではない。「当事者」運動が突き付けてきた、わたしたちの側の「当事者」性から、心底怒っているのか?
それが問われているということ。
■差別されてる自覚はあるか 横田弘と青い芝の会「行動綱領」
http://ericweblog.exblog.jp/23846594/
■われらは愛と正義を否定する 脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」
http://ericweblog.exblog.jp/23757266/
■2017/7/25NEWFREE
「相模原障害者殺傷事件」への「怒り」は足りていたか
いま私たちが積み重ねるべき言動について
時事オピニオン
荒井裕樹
http://imidas.jp/opinion/F-40-151-17-07-G688.html
1980年代から何が変わったのか。
2017年7月26日
■NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170725/k10011073701000.html?utm_int=news_contents_news-main_004
日刊ゲンダイに斎藤貴男さんも書いています。
・・・
あの事件の容疑者は事前に衆議院議長公邸に赴き、犯行予告を届けている。
そこには、殺害は国のための行為だから禁錮は2年まで、
金銭的支援5億円を求めるなどとされ、「安倍晋三様」に伝えてほしい旨が書かれていた。
当初は安倍氏本人に手渡そうとした形跡も。
「容疑者は首相なら自分に共感してくれると信じたていたのでは」と私は述べた。
相模原事件が論じられる際、なぜか、あまり取り上げられない問題だ。
だが実は、この点こそが現代日本の暗黒を象徴しているのではないか。
■事件当時、政府の声明文などの対応が薄いことに憤りを感じていたことを思い出す。