二之江中学校 第三回全体研修会

二之江中学校 第三回全体研修会
2016年11月7日 月曜日

12:55-13:45 二年生「多くの人口を引き寄せる東京」
33名

授業の流れ 四人組の作業
1. 東京に集中しているものをあげる [教科書からの読み取り]
2. 東京に高層ビルが多い理由 [「東京は日本の首都である」から始まる文章をいくつか繋げて最後は「だから高層ビルが多い」]
3. 東京駅構内図で道順を見つける

一人一人の学び

1.については、教科書からの読み取りであるが、ほとんど全員の生徒が四つほど書けていた。ERICの研修でもスキル活動を毎回取り入れているが、なんとなくお互いが見えている中で実践している。

それと同じで、個人作業のようでいて、生徒たちがとても集中して、なんとなくお互いが見えていて、教科書の読み取りができていた。

2.については、ほとんどの生徒が「東京は日本の首都である」しか書けていなかった。ここには補助線が必要だと感じた。一文繋げではあるけれど、「因果関係」を考えさせるのが目標なのであれば、「因果関係図」で考えさせるのがいいに決まっている。フィンランドのカルタを参考にしてほしいと思う。
http://ericweblog.exblog.jp/2973922/

今朝のNHKでもアクティブ・ラーニングを取り上げていたが、光源氏の読み取りについてどのような支援が必要かを論じていた。「考え方」を教えるという基本が徹底していないと、支援が「望ましい結論」に向かうためのハウになってしまう。

授業後の検討会では、教員が四人1組になって話し合ったのがとてもよかった。ここから教員集団の「見取り」が育つといいなあ。

「見取り」って、共有語なのね?

コルトハーヘン氏の方法が、どちらかというと「個人」に帰結するのに対して、ここでは「四人一組」での学び合いがある。しかし、あくまでも学ぶのは一人人であり、個別化対応も、一人ひとりが異なるからいいのだという永島さんのコメントが面白い。生徒に求めることを教員にも求めるということだ。その通りだと思う。さて、そのような育ちが教員にあり得るか? 

次々と面白い問いが生まれてくるアクティブ・ラーニング!

1. 思考スキルの指導
2. ESDの目標との関連

この二つについて、未だに努力が見えないのが今回の研究会だった。
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■アクティブ・ラーニングの「教科主義」への揺り戻しを憂う。
ESDとしての捉え直しができて居ないことはすでに指摘したが、以下のようなやり取りが、「教科主義」への揺り戻しを強化すると思った。一貫した姿勢での取り組みこそが求められる。

「東京は日本の首都である。」の一文から始まって一行文をいくつか間に入れて「だから高層ビルが多い」までの因果関係を作文するというのは、これも四人一組で取り組んだが、最初の一文こそ、ほぼ全員が書いていたが、その次を書けていた生徒はほとんどいなかった。
わたしが「因果関係図」で考えるとかの補助線が必要だと考える所以である。
その問題について、講師は、「先生の見取りとつなぎが、思考の深化につながる」と講評し、かつ、何人かの発言から「首都だから高層ビルが多い」のか、それとも他にも高層ビルが多い街があることを教師が指摘したことで、「都市だから高層ビルが多い」のかという社会科学的にとても重要な視点が出されており、これを突き詰めれば論文が書けると持ち上げた。

一人ひとりの学びを軸にすることというのは、教員集団に対してとても良い投げかけだと思うけれど、以下の点で違和感が残ります。

1. ESDの価値観やスキル、あるいはその他何でもいいのだが、(良くはないけれど)教育目標が明示されていない。共有しようともしない。「一人ひとりの学び」を繰り返すのだが、それはどこへ行くのだ?

2. 社会科の学習とESD的普遍的学習のスキルや高次の思考スキル育成目標との関係が整理されていない。社会科学的な思考力がどのような意味を、社会科学の専門家になるわけでもない生徒にとって持ち得るのかが問われないまま、「首都だからか都市だからかというのはすごい視点だ」と持ち上げることは、ともすれば教科教育の論理にしがみつきたがる教員に対して、間違ったメッセージを与えることになる。

NHKの番組で、ある女子校の古典で「アクティブ・ラーニング」による取り組みを紹介していた。グループに分かれて「光源氏の姿を一目見ようとやってきた六条御息所が、他の女御たちの車に嫌がらせされるのだが、その時に「「いとどしう出でばえを見ざらましかば」と、歌を読む。その時の彼女の気持ちを考えよ」というかだいに答える。

ほとんどのグループが「それでも見れてよかった」というのに対して、一つのグループが「こんなことなら来なけりゃよかった」とした。

それに対して、どのような手立てを取れば良いかが課題だと、先生方が語り、それに対して、何ら批判的なコメントもなく、追従するNHKの記者らがいるのである。

これでは「這い回る経験主義」の批判再び、となるのは目に見えている。異なる力をつけようとしているのに、その部分は見ないまま、従来の「正解」にいたるための補助線を議論する。最悪である。

それと同じことが、ニノ江中学校の研究会でも起こったのだ。


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by eric-blog | 2016-11-09 17:51 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)
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