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手話を生きる 少数言語が多数派日本語と出会うところで

手話を生きる 少数言語が多数派日本語と出会うところで
斉藤道雄、みすず書房、2016
2615冊目

手話は自然言語である!

ろう者にとって手話というコミュニケーション手段は自然発生的なもの。

しかし、ろうの子どもが手話を使う両親の元に生まれるのはろう者の1割程度。9割の子どもには手話獲得のための支援が必要。

海外の研究から明らかになってきた「手話」がろう者の知的活動を支える言語でありうるということ、口話矯正教育はろう者の人々を言語化から遠ざけ知的遅滞を引き起こしているということ。

日本でも、そのような結果を受け、ろう学校において手話教育が取り入れられている明晴学園。子どもたちは手話で活発に会話をし、聴者にある日突然なったりしたらどうしようと笑う世代だ。

日本手話が生まれたのは1991年。第11回世界ろう者会議に参加していた木村晴美さんが、半澤啓子さんの手話に出会った時に、日本語対応手話とは異なる日本手話が見出されたのだ。
両親がろう者である半澤さんの手話は「田舎臭い」と揶揄されていた。しかし、その手話はすんなりと木村さんの脳に入ってきた。  124

1995年「ろう文化宣言」

あれから20年。しかし、日本手話の地位は圧倒的な多数者の聴者の論理で、隅っこに追いやられようとしている。「手話言語条例」が対象にするのは日本語対応手話であったりするのだ。132

単語、音韻、形態、統語のあらゆる側面が異なる日本語と日本手話。

内言語の違いも手話の動きに影響する。

「ろう学校」を一つのものとして受け取るのか、それとも「ろう・学校」と受け取っているのかが、動きに違いを生み出す。

赤堀仁美さんは、こう違いを説明する。彼女はろう者のネイティブ・サイナーだ。134

そして、ほとんどの手話学習者は、対応手話の外に出ようとしない。

そして、無意識のうちにはびこる「日本語中心主義」が聴者の手話を生み出し、ろう者の手話を不可視化してきた。139


うむむむむむ。

この本、面白すぎ。

2000年代からNHKの手話ニュースでも日本手話になってきている。

手話を生きること。

で、でも、と、でも、は、でもなく。

手話を奪われることは失語症に陥るようなもの。

口話の限界。慣れ親しんだ世界外ではほとんど通じない。わかるなあああああ。
90年代から2000年代はじめにかけて、多くのろう者が声を出さなくなった!


17年前の著書はこちら。
■もう一つの手話 ろう者の豊かな世界、晶文社、1999
ろう者は語りの名人。
個性的

ああ、このことは川田順造さんが無文字文化について語ったことだ。

わああああーーーい、日本昔ばなしかなんか、見てみたい!

半澤啓子さんの紹介はこちら。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/rounan/backnumber/2006/04/0401.html

桃太郎
https://www.youtube.com/watch?v=UaIWAWVvinQ
by eric-blog | 2016-10-13 10:54 | ■週5プロジェクト16
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