父の遺言 戦争は人間を「狂気」にする
伊東秀子、花伝社、2016
2587冊目
日本共産党を離党し、1990年に日本社会党から衆議院に立候補・当選、1995年に自民党から北海道知事に立候補、次点。2007年の参院選に国民新党の比例代表として立候補、落選。
という経歴の持ち主で、弁護士。
満州で生まれ、敗戦後3歳で家族共々帰国。憲兵隊であった父親は1958年になって、戦犯法廷も経て帰国。中帰連の活動にも参加、1987年に死亡。
この本は、彼がつねづね言っていたこと、「戦争だけは絶対するな」の背景を探るもの。
自立心の旺盛な祖母、母の代も描きながら、兄弟である次兄、上坪隆が引揚者や満州における日本軍についてドキュメンタリーで追いかけ続けている姿から、自分が知らない父親の戦争犯罪がなんであったのかを見いだしていく。
撫順戦犯管理所での生活そして、一人ひとりの調書が詳細に紹介されている。
人はなぜ加害を語れないのか。
下位の兵隊よりも、士官レベルの人の方が認罪がすすまない傾向があったという。いわば「中間管理職」だ。
一つには、認めることで責任を問われる、死罪にもなるかもしれないことへの恐怖。
一つには、いずれにしても秘密遵守。敵方にはなるべく情報を渡さない。「彼らは知らない」のだから。
それが、すでに認罪した兵士たちから突き上げられ、自分たちの行った蛮行の証人が現れ、上官の中にも認罪に点ずる人が出る、証拠となる資料を検察官が出してくるなど、全方位的な逃げ場のなさ。それが、1950年から5年間、6年間という時間の中で展開され、認罪がすすんでいく。
中共政府、周恩来首相が、そこまで考えていたことに、感動する。
中帰連の帰還兵たちが中国に感謝する気持ちがよくわかる。
それでも1000人ほどの収容者の中で、45人の人々には実刑が下る。
ソ連での抑留の期間も含めた12年、18年の刑期を終えて、全員が結果的には帰国を果たす。
「撫順の奇蹟」
コーリャンという中国の人達の常食では腹を下す人がいるからと、収容者たちには白米を食べさせる。労働はなく、学習のために本や話し合いの機会が提供される。
岸信介さんの戦争犯罪についても詳細に記録されている。
日本のアイヒマンは、一人だけではないということだ。