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日本の中国侵略の現場を歩く—撫順・南京・ソ連国境の旅

日本の中国侵略の現場を歩く—撫順・南京・ソ連国境の旅
青木茂、花伝社、2015
2583冊目


著者の以下の三回の訪中を中心に、関連する式典、証言の聞き取り、記念館訪問などが、歴史的な背景とともに語られている。

2007年9月 撫順訪中団、平頂山事件75周年犠牲者追悼集会に参加
2007年12月 南京大虐殺70周年犠牲者追悼式典、400人の日本人が参加
2012年8月 ハイラル訪問、万人坑を知る旅


撫順の捕虜管理所での経験を経て、自分たちの加害体験を語るようになった中国帰国者たち。その中帰連の高齢化を受けて、若い人達が始めた「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の活動の一貫として、これらの旅は訪中団として実施された。

http://serinobu.jimdo.com/受け継ぐ会-中帰連平和記念館/

日本軍の加害行為や従軍慰安婦の制度的な位置づけなどがないことのように語りたがる人がいる。

「いつまで謝り続けるのか」と問う人がいる。

戦争世代でない世代、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言う人がいる。(安倍晋三、戦後70年談話より)

しかし、2007年の旅でも、生き残りの人々の証言がある。その人達の記憶から、「あの日」のことは消えることはない。からだに残された痛みと傷とともに。

わたしは「Yes! Peace」で訪中した時、上の世代の方から、「向こうに行ったら、謝罪するように」と言われて、反発したものだ。

ともに平和を求める活動を行う者として出会うであろう中国の人々。謝罪から始めることが適切だとは思えなかった。

しかし、現地では、英語での「I am sorry that Japan had invaded your country.」という言葉は異和感なく発言できた。

Sorryは残念に思うというようなニュアンスが、that節を伴うと強くなるからだ。

そして、たぶん、これらの訪中団に参加したとすれば、証言者たちに対して、「I am so sorry to what happened to you.」というだろう。

その言葉は、「悲惨な体験に共感しているよ」「残念な歴史の一時期だった」という以上のものではない。

「謝罪をし続けないのが国際社会」という認識を持っている櫻井よしこさんは、安倍談話を評価しているのだが、気になるのはあの時代に起きたことを「残念」だと思っていないように思えることだ。
http://blogos.com/article/128824/

あるいは「負けたことが残念」ぐらいの感覚か?

日本社会が、あの時代に突き進んだ狂気について、わたしは謝罪することはできない。責任をとれないことだから。

大事なことは、過ちであったことを認めることだ。

オバマ大統領の「ヒロシマ談話」を、不十分だと批判することはできる。
しかし、彼は「過去の過ち」を認めているのだ。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-begins-visit-to-hiroshima_n_10160172.html

「未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。」

中帰連の人々にとって撫順が道義的な目覚めの地であったことは、貴重なことなのだ。撫順捕虜管理所の方針は、すばらしかったということだ。

不十分であっても、わたしはわたしたちの世代、そして次の世代の道義的な責任を明確に語ったオバマ大統領のスピーチは評価する。

反省だけなら猿でもできる。しかし、反省しない者は猿以下だ。
by eric-blog | 2016-09-08 15:56 | □週5プロジェクト16
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