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在日外国人【第三版】 法の壁、心の溝

在日外国人【第三版】 法の壁、心の溝
田中宏、岩波新書、2013<1995<1991
2565冊目

1937年生まれの著者による力作。1991年の初版以来のロングセラーを、2009年7月の外国人登録法の廃止などの変化を経て改定した最新版。

新たなテーマとして外国人学校、高校無償化、技能実習生とそのサポートをしている団体などを加えたという。

しかし、2012年発足の安倍政権は高校無償化から朝鮮学校をはずし、ヘイトデモは激しさを増している。再度の改定か増補が求められるのではないかとすら思う。

著者は1962年にアジア文化会館で働きだし、留学生の支援にあたる。そして、彼らが向ける「二つの顔」。一つは日本を賞賛し、一つは厳しく批判的である。

アジアからの留学生は、天皇が東京のど真ん中の大きな城に戦後も済み続けていることに驚いたり、伊藤博文が紙幣の顔に採用されたりすることに驚く。その紙幣を毎日使う在日朝鮮人の気持ちを考えないのか、と。

孫振斗さん救援問題: 1927年大阪生まれ、広島で被ばく。韓国に帰っていたが被ばくの後遺症の治療を求めて密入国。1970年。1978年、最高裁で勝訴。57

宗斗会さんの「日本国籍存在確認訴訟」1917年生まれの日本国籍。
1952年の平和条約締結の時、日本政府は、旧植民地出身者は「日本国籍」を喪失すると「民事局長通達」を出した。
ヨーロッパの植民地についてどのようなやり方があったかというと、イギリスは「二重国籍」を認め、在仏アルジェリア人はフランス人と同等の権利を条約で保障され、ドイツのオーストリア人は「国籍選択権」を得た。
帰化というのは、日本国歌がまったく自己の好みによって相手を自由に”選択”できる制度なのである。72

この日本政府の「一方的に国籍剥奪」という対応にも、『日本人の戦争観』で指摘された原因が働いているのではないだろうか?

「著者は四つに理由をまとめている。
1. 戦費調達のために民政が圧迫され、生活が「暗く」「苦しい」。
2. 戦中の軍部の独裁が強く、また東京裁判でも特定の戦犯に責任を負わせる形になったために、そこに荷担していたマスコミ、政治家、国民などの責任感がうすれがち。
3. 日本独力では勝つことができなかった日中戦争の延長にアジア・太平洋戦争に突入したために、アメリカの巨大な軍事力に対する敗戦が強く意識され、アジアの民族主義の認識を誤った。
4. 台湾・朝鮮という植民地の喪失が、敗戦によって起こったために、反植民地運動に直面することなく、支配意識が挑戦されないまま、植民地を失っている。」

そのことが日本人の外国人観を形成し、排他的差別的なものにしているように思う。

運動のリストは続く。

外国人指紋押捺制度。

1963年マレーシア連邦の成立。それに反対運動をしていた留学生会の会長だったチュアさんが奨学金を打ち切られ、また、その要請を受けて千葉大学も除籍処分。9

1966年、留学生が医療扶助を受けたために国外退去に。15

1969年、ベトナムから「帰国入隊命令」が出た。

1991年、戦争犠牲者が補償を求めて請求書提出。104
1952年の援護法の制定から提訴の1994年までの類型を計算すると5770万円にも上る。「扶養加給額」「妻に対する特別給付金」を加算すると6148万7950円。この金額を日本人は手にしたことなる。106

1946年に軍人恩給廃止、1952年復活。「遺族援護法」107
1953年には「戦犯受刑者」も復権。
1964年「戦没者叙勲」。89年3月末までに205万名の戦没者が叙位叙勲された。112
一国主義。

1977年、外国人司法修習生誕生。
1983年、外国人弁理士誕生
公立学校の教員採用、地方公務員

1983年、国籍法改正、「外国姓」が認められることになった。


■参照
『国籍差別との闘い』
戦後60年を考える:補償裁判・国籍差別・歴史認識
著者等   田中 宏/著、2005年
by eric-blog | 2016-08-22 13:19 | □週5プロジェクト16
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